スロウダンス

さざ波

「ただいまぁ…」

「「「おかえり~」」」

当たり前のようにカウンターから私を迎えた人を見て、ガックリ項垂れてしまう。

「遅かったなぁ、残業?」

「明日から異動なので、荷物を片付けてたんですよ…」

「ご苦労だったな。」

相良は切れ長な目を僅かに細めた。

何故、彼がいるかというと、茶々丸を昼間我が家で面倒を見ているからだ。

初めて家に来た日、相良部長が何気に発した『ペットシッターを探している』に食い付いたのは母だ。

「そんなお金がかかる事を!」と、有無を言わさず、無償で茶々丸を預かる事を押しきった。

実は、近くに建設中の住宅は、相良部長のもので、完成したら、田舎のお母さんを呼び寄せるらしい。

また母子家庭と知った祖母と母の勢いは止まらなかった。

そんなこんなで、会社帰りに茶々丸を迎えに来た流れから、そのまま我が家で夕食を一緒にすることが多くなった。

会社にいるときの他人を簡単に寄せ付けない雰囲気とはうって変わって、我が家に溶け込むのは早かった。

私と言えば、最初の頃の苦手意識は薄れたにせよ、実はこの状況に頭がついていかない。

(だって、あの部長と毎晩食卓を囲んでるなんて…会社の人にバレたら、女子社員から抹殺されるな…)

内心ヒヤヒヤものだ。森先輩にも言えない…

「相良部長は、企画業務部のメンバーについて、もうご存知なんですね?」

「あぁ、聞いてるよ。なかなか面白いメンバーだよな。」

あっけらかんと応える。

「…あの人達、面白いですか?」

「・・・藤曲、知ってるのか。」

まさか森先輩から極秘で情報得ましたとは言えない。否定しようにも言い訳が思い浮かばない。

私が黙っていると、『フッ』と笑う。
同時に大きな手が頭に伸びてきた。

「まっ、それは置いといて、オマエは、あまり心配するな。」

髪を軽く、くしゃっと撫でられる。
手元から、相良部長の香水がふわっと薫る。

(鬼が笑ってる!)

女の子ならば、感じるドキドキセンサーが壊れてしまっている私は、相良が笑ってる事に完全に固まってしまった。

部長は、面白そうに私をマジマジと眺め、顎に手を当てながら、

「藤曲の頭の形は、茶々丸に似てるなぁ~」

としみじみ言った。

「はいぃ???」

「目を閉じて撫でれば、どっちがどっちか分からなくなる」

「なっ、なんですか!それ!」

怒る私を愉しそうに口元を緩めるとパッと頭から手を離した。そして屈むと足下にじゃれつく茶々丸にリードをつけた。

「じゃあ、失礼します。今日もありがとうございました。」

カウンターキッチンにいる母に声を掛ける。母は、さっきの会話が聞こえていたのか、笑いを噛み殺しながら返事をしている。

ムカつくから、そっぽを向いていた私だが、明日から直属の上司だ。ここは見送る事にした。

「寒いからいいぞ。」と相良は言ったけれど、首を振った。

店の横に停めてある、フォルクスワーゲンのゴルフに相良がキーを手にすると、サイドランプが二回点滅し、開いたドアに茶々丸が身軽に乗り込む。

独身男の助手席は、柴犬のもの。相良部長ファンが見たら、どう思うかな?密かにニヤニヤ笑ってしまう。

相良部長が運転席のウィンドウを開ける。

「じゃあ、また。明日からビシバシいくからな。」

「ひぇっ!」

「『ひえっ』じゃねぇよ、気合い入れて来いよ。」

そう言うと、いつもの傍若無人な相良部長。

私は寒い空気を肺いっぱい吸い込んだ。
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