スロウダンス
振り返ると、製造課の英(はなぶさ)慎太郎が憮然とした表情で立っていた。
「英君!」
私の声にパッと表情を変える。
「はよーっす!姉御!」
黒のダウンジャケットにジーンズの後ろポケットに手を突っ込んで挨拶してくる。
「姉御はやめてよ…」
溜め息混じりに応えると、すかさず、
「いやぁ、智子さんはやっぱり、俺の恩人っすから。」
と、人懐こい目で笑いかける。
英慎太郎に懐かれたのは、1年前の忘年会がきっかけだった。
たまたま製造部の忘年会の宴席と生産管理部が一緒になった。
場が中盤に差し掛かった頃、ちょっとしたいさかいがあった。
英君と別の会社の人が居酒屋の狭い廊下で肩がぶつかったとかで言い合いになったのだ。
すぐさま双方の人間が仲裁に入って、その場は収まった。
遠目でその光景を見ていた会社の人達は、『またアイツか…』と冷めた目で見ていた気がする。
かくいう私も『英慎太郎は、トラブルメーカー』皆と同じ印象を抱いた。
しかし、その後、相手の人が会計時に財布がないと騒いだのだ。
「アイツが取ったんだ」と英君を指差す。場は一気に静まった。
否定する英君に、追い討ちをかける一言が、あろうことか社内の人間から放たれた。
「…英、お前…鞄の中を見せろよ。」
それは無実を証明する為に…、という擁護する意味合いを持ってはいない冷たい一言だった気がする。
『やっているんだろう?』そんな疑心に満ちていた。
その言葉が私の中で何かをはじけさせた。
「英君は取っていません!」
立ち上がって叫ぶ私がいた。
皆の視線が一斉に集まる。
「じゃあ、どこにあるんだよ、俺の財布は!」
憤る相手に、
「見つけますよ!アナタのお財布!」
私は素早い動作なで距離を詰め、『どんな財布ですか?ここにくるまでどこに寄りましたか?』と質問責めにした。
そして、両方の会社の人達全員に鞄の中身を出す事を提案した。
それまで部屋の隅でチョビチョビお酒を呑んでた、地味で目立たない女が急にキビキビしちゃったもんだから、周りはそれに圧倒されたらしい。皆すんなり従った。
・・・私はといえば多分、お酒の力で強気に出れたんだろう。
そんなやり取りの中、店員さんが、おずおずと差し出した、黒の長財布。
なんでもトイレの手洗いの下(見えづらい場所)に落ちていたそうだ。
私が財布を受け取り、手のひらでポンポンと叩いて見せる。
「…アナタ、侮辱罪って知ってます?」
睨む私に、彼の同僚が慌てて頭を下げさせた。
「スイマセン!こいつ飲み過ぎてて…!」
「いい大人が、他人様を巻き込む酒の飲み方してるんじゃない!」
「「「うぉぉぉー!」」」
ここで歓声と拍手が沸き起こる。
当事者も一気に酔いが冷めたらしく「スミマセン、スミマセン」と何度も頭を下げながら、そそくさと店を出る。
振り返ると、英君が今にも泣き出しそうな表情で立っていた。