君に奏でる夜想曲【Ansyalシリーズ『星空と君の手』外伝】
17.音楽が繋ぐ未来 -理佳-
託実くんの退院の当日、リハビリに出掛けている間に
一人車椅子で、お遊戯室へと逃げるように閉じこもった。
託実くんの退院は喜ぶべきものなんだけど、
お別れするのはやっぱり寂しくて、泣いてしまいそうだったから。
ずっと静かだった私の病室が、
賑やかになった、今年の夏。
そして多分……私が恋をした年下の男の子。
託実くんの存在が、この1ヶ月で本当に大きくなってしまったことを
自覚したのは、屋上で花火を見た後に告げられた時。
その時……泣いてしまいそうになる私を、
必死に我慢して、無言になることでその時間をやり過ごした。
そんな私だから……、託実くんのちゃんとした旅立ちを
涙で滲ませながら見送りそうだったから、この部屋へと逃げ隠れた。
ピアノの前に座って演奏する曲は、
ピアノソナタ第14番嬰ハ短調。
知名度が高い別名は「月光」。
ベートーベンが恋をした伯爵令嬢に捧げた名曲とも言われてる作品。
全三楽章からなるこの作品で有名なのは、やっぱり第一楽章。
右手の三連符と左手の重厚なオクターヴが中心の難曲。
後に、詩人ルートヴィヒ・レルシュタープが、
ルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のように……っと、
コメントされていることから、後に「月光」として名を知られることになった。
第二楽章は、軽快なスケルツォ。
第三楽章は、テクニック面でもかなりハードルが高くなる、
章が進むにつれて、スピード感が増していくそんな曲が
今は……私の心理を一番映し出してくれるような気がして。
一心不乱に指先を鍵盤のアタックへと集中する。
何度も何度も、逃げ続けるように演奏続けてる間に
吐き気がこみあげてきて、胸が苦しくなった。
三度目の演奏の途中に、耐えられなくなって三楽章の途中で
鍵盤から手を離して、ピアノに体を預けるように
状態を立て直そうとする。