唇が、覚えてるから

「……嬉しいわ。彼女のこと…大切に……するのよ」

「……ああ」


戸惑いながらもうなずく祐樹。


お嫁に来てほしい……なんて、冗談だって分かってるけど。

中山さんの笑顔が見たくてついた嘘。

中山さんが喜ぶなら嘘の一つや二つついたって、罰は当たらない。


「……ごめんね……祐樹…。…祐樹には、本当に申し訳ないことをしたと………思ってる。お母さんと……お父さんの勝手で……淋しい思いをさせて……」

「……っ」


祐樹の前でも、きっと"タカシ"と呼んでいたんだろう。

中山さんが"祐樹"と口にした途端。

祐樹の顔がくしゃくしゃに崩れた。


「いくつだと…思ってんの。……俺、淋しくなんかねーし……」


鼻の下に手を当てて、斜め下に顔を向ける。

必死に涙に耐えているその顔とその声に、私こそ堪えられなくて思いっきり唇を噛みしめた。
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