唇が、覚えてるから

「だから、あんなこと平然と言うもんじゃなかったって反省してる…」


真理はそう言って、ごめんと軽く頭を下げた。


「……あんなこと?」

「希美と一緒に、不謹慎なこと言った。こんなんじゃ、看護師失格だよね」

「……あ」


それは事故の話をみんなでしていたときだ。

"泣いてんの?"

"涙流してられるのも今のうちだけだろうし"

なんて言われたこと。

それは奇しくも祐樹の事故だった。


私は首を横に振る。


「ううん。私だって自信ない…。

もしかしたら、慣れることより慣れないことの方が、難しいのかもしれないね……」


日常に追われるうちに、初心を忘れない様にすることは、実習生の私でさえ危うい。


日常に慣れろ。


その中で、人間として慣れてはいけない感情。

……だから、試練なんだ。



「あ、雨」


その時、そう呟く真理につられて外を見ると。


「本当だ」


降り出した雨が窓を濡らしていた。
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