唇が、覚えてるから

矢部さんが駆け込んだのは屋上だった。

白いシーツが夏風にはためいている。

その向こうに小さな影が映り、めくり上あがったシーツが姿をとらえた。


「矢部さん……っ」


私はすぐに駆け寄ったけれど、


「………笑いたければ笑いなさいよ」


小さく震える声に、寸前で足が止まった。


『矢部さんを見てみなさい』

二言目には、いつも稲森先輩にそう言われていた。


いつも堂々としていて、もう正看護師の様な振るまい。

私にとってもお手本の様な存在だった。


「………矢部さん…」


けれど、矢部さんだって私と一緒なんだと思った。


毎日が実践、生の現場。

本当は、怖くてたまらない。


だって、実習生。

そして、まだ高校生だから……。
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