唇が、覚えてるから

「実はね……中山さんは、今でも息子さんがお見舞いに来てるって言うのよ」

「えっ……」

「それが幻覚の始まりだったかしら」

「……」

「昨日はこんな話したとか、あんなこと言ってたとか、楽しそうに話すのよ。まさかそんな話信じられないでしょう?だから話を合わせるのも実際難しくてね…」


絶句した。

……来るはずのない息子さんと、会って話をしてるだなんて……。


そんなの。

私だってきっと無理だ。

いくら患者さんと話すことが好きでも、そんな非現実的な話、笑顔で出来るわけがない。


「こっちとしても、事実はちゃんと伝えたのよ。けど、聞く耳持たずでわめき散らすだけで……。

今日みたいに突然豹変することもあるの。……以前は笑顔が素敵な穏やかな人だったのに」


悲しそうに目を落とす橋本さんに、私は胸が苦しくてたまらなかった。 
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