①憑き物落とし~『怨炎繋系』~
―――――――――――――――――――――――――――――……。
俺はドアノブから手を話し、足元の覚束無い情けない足取りで後退する。夕浬の手を握り、出来る限りドアから離れた。鼓動が酷く激しい。鼓膜のすぐ隣にま で、心臓が近寄ってきたかのようだ。厭な汗が首筋を伝う。暗闇で静寂と拍動が入り乱れるなか、ついにその時は来てしまった。
「ろっろろロロロろろろろろろろろろろろロ」
声にならない聲が、ドアの向こう側から伝わってくる。奴には、声帯がないのだろう。全身を満遍なく焼き尽くされ、黒炭になってしまったから。
灰川の言っていた『媒体』は『夕浬の臍の緒』だった。『母と子を繋ぐもの』。つまりはこの黒い女は、自分を極限の苦しみの中で死に追いやった夕浬を恨む、夕浬の母の霊なのだ。
夕浬の夢の話を聞いてから、なんとなくその母親が関連しているのではないかとは思っていた。しかし、母が子にこれほどの憎しみを抱くはずがないと俺はその 考えを捨てていた。
だがどうだ。
……今扉を開け、こちらをのっぺりとした厭らしい笑みで見下ろすドス黒いこいつは、そんな情なんてとうの昔に炎の中に失ってしまったのだろう。
こいつは……もはや悪意の塊でしかない。
「……玲二……。私、怖いけど、もういいの。玲二だけでも早く逃げて」
「そんなことできるわけないだろ!」
「だって、アレは……あの黒い化け物は……私の、私が殺した私のお母さんなんだよ……!? もう、そんなの、どうしようもないんだよ……」
かつて浅神箕輪だった黒いモノは、ゆっくりと、こちらに近づいてくる。
泥のような髪を垂らしながら。
黒曜石のように真っ黒な、何もない顔で、ニタニタ嘲笑いながら。
一歩、また一歩、距離が縮まる。
近づくほどに、異様な焦げた肉の臭いと、腐敗臭が濃度を増す。
蛇の前の蛙なんて生やさしいものじゃない。
この空間にいるだけで、四肢が引きちぎれてしまいそうだ。
その禍々しい圧力に当てられて、気づけば俺はあま りの恐怖に失禁し、情けない虫のような声を上げながら地面にひれ伏していた。
開いたままの口から、唾液が床に流れ出る。
気を失いそうな俺の耳に、夕浬の悲鳴が聞こえてきた。
「熱い! アアアアアアアアアアアアアアアアァ!!」
俺は、反転した景色の中に夕浬に覆いかぶさる黒いモノを見た。
なにより恐れていた無情な光景が俺の目に写る。
――夕浬が、焼かれていた。