①憑き物落とし~『怨炎繋系』~
『黒い女』
――しかし。
車を降り、マンションを見上げる。するとそれまでの安らいだ心がみるみる霧散していくのが自覚できた。胸が騒ぎ始める。鼠が叫びながら皮膚を掻き毟っているかのような、そんな痛い心のひしめき。全力でここに近づくのを拒絶しているようだった。
「……ここですか」
「ええ」
安田さんも、それまでの笑顔はもうなく、真剣な、強張った表情となっていた。手には数珠を持ち、筆や墨といった持参してきた荷物も車から取り出す。
「参りましょうか」
「はい……」
私は、すっかり重くなった足で歩き出す。無言の怜二の腕にしがみつきながら、すでに凍えるように震える。フロントを通りエレベーターに乗ると、4Fのボタンを押した。
「おい、大丈夫かよ」
「う、うん」
「けどたしかに、なんか異様に寒いよな」
「無理しないで車で待っていますか?」
「だ、大丈夫です」
言葉に甘えても良かったが、依頼主が居なくては状況の説明もできないし、ここまで来て引きかえすのもなんだか情けない。私はやせ我慢して安田さんについていくことにした。
「407、ここです」
「では、少し中を見てきます。ここで待っていてください」
そう言い放つと、安田さんは一人ドアノブを捻り中へ入っていく。
「……やっぱり、本物の人は実際頼りになるよなぁ」
「うん。私、なんとなくわかるよ。安田さんは『本物』で、本当に修行を積んだんだと思う。なんだか、存在に頼もしい重さがあるよ。よくお気楽なテレビ番組とかに出てる人とは随分と違う感じ」
「うん、夕浬がいうと説得力あるな」
数分程経つと、額に汗を浮かびあがらせながら、安田さんが戻ってきた。
「ど、どうでしたか!?」
「……結構、酷いですね。この部屋はね、物の配置がまず悪い。鏡の角度と水道の位置。そこが彼らの通り道になっているんです」
「って、夕浬の部屋には何人もいるのかよ」
「……鏡を倒して、水道の下の管に御札を貼っておきました。余計かもですが、ベランダとトイレには私の直筆の経文を施して、最後には般若心経と、錠全経を唱えてきました」
「……はい、でも、あの」
「ただ、暫くはこの部屋には来ないほうがいい。そうですね、二週間程してから戻ってみてください」
「良かったな、夕浬」
「……………」
「夕浬?」
なんだろう? なんでだろう?
なんで、まだこんなに不安なんだろう?
確認しなくちゃいけないことが、……ある。