愛を教えて ―輪廻― (第一章 奈那子編)
ときに世話になってちょうど一週間が経つ。

月末には千早物産の家族寮に移るつもりだ。名村の会社には新しい職場のことは言っておらず、さすがの郁美も気づいてはいないだろう。

桐生の秘書・白石も、奈那子と太一郎が姿を消したことを知れば、遠くに行ったと思うはずだ。


だが、千早に世話になる前に、卓巳と会う必要がある。

桐生経由で知られる前に、太一郎から話したほうが無難だろう。卓巳なら先手が打てる。そして卑怯かもしれないが、太一郎は万里子に泣きつくつもりだった。

万里子の口添えがあれば、卓巳も奈那子を桐生に返せとは言わないはずだ。


ときと奈那子は、祖母と孫娘のように楽しそうに話している。

太一郎と同じく、奈那子も冷たい家庭で育った人間だ。奈那子は太一郎と再会して初めて、人の優しさと温かさを知ったと言う。

今、声を立てて笑う彼女は、一年前の寂しい笑顔とは比べ物にならないほど幸せそうだった。


太一郎はズボンのポケットから小さく畳んだ紙をコソッと取り出す。そして、誰にも聞こえないように、ため息をついた。


(こっちが先だよなぁ……)


踏み切ろうとしては、正体不明の迷いが頭によぎる。

“愛”を知る難しさに、逃げたくなる太一郎だった。


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