愛を教えて ―輪廻― (第一章 奈那子編)
黙り込む太一郎に郁美は近づいてくる。


「人目があるんだから、ここで妙な真似はできないわよね? 太一郎パパ」


産婦人科病棟の隅にある談話スペースだ。目の前の廊下を、看護師をはじめ病院関係者、入院患者や見舞い客が行き交う。

確かに、ロードスターの中のような脅し半分の手段は使えない。 


「彼女は藤原家のメイドで……」

「清掃中に男子トイレの個室に引っ張り込んで、イイコトしてたんですって? ついさっき、大学側の事務局からクレームが来たって、等さんが怒ってたわ」

「違う。デタラメだ! 俺は」


言いかけて、太一郎は口を閉じた。

後輩の北脇だ。やることが素早い。卒業を棒に振ることのない、『無理矢理とかじゃない方法』のひとつ、密告を利用したのだ。

だが……そうなれば茜のことも心配である。もし太一郎が北脇の立場なら、茜も傷つけようとするだろう。


「倒れたばかりの奥さんが知ったら、傷つくでしょうねぇ。妻の妊娠中の浮気なんて、よくあるケースだもの」


郁美の指先が太一郎の背中をつついた。

指でつーっと上になぞり、同じようにゆっくり、今度は下になぞる。そのままジーンズぎりぎり、太一郎の腰骨辺りまで指先が下がったとき、彼は郁美の腕を振り払いベンチに腰かけた。


「いい加減にしてくれよ。俺のこと調べたんならわかっただろ? 俺のお袋は先代が妾に産ませた子だって。たいした財産は相続してないし、その金すら……俺が馬鹿やってかなり食い潰した。藤原グループは巨大だけど、その全部が社長である俺の従兄のもんだ。俺は奴を散々怒らせた。俺が死んでも、葬式費用も出しちゃくれねぇよ」


< 55 / 240 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop