あの時とこれからの日常
「おかえり」

ヒールを脱いで、足裏全体に冷たい床を感じつつ、リビングに入ると狭いキッチンに立つ海斗がいた

「ただいま」

ふわりといい香りの充満する部屋を進んでジャケットをクローゼットにしまいながら海斗の広い背を見つめる

いつだったか

この情報化時代に似合わず、置手紙を残すことが習慣化した

手紙と言っても、裏紙やメモ帳に一言書きおく程度なのだけれど

でも、海斗の整った文字を見るたびに、

病院から呼び出しがかかったとか

夕方には帰るとか

そんな内容なのに不思議と笑みがこぼれていた

海斗曰くさびしがり屋の自分の特性をよくとらえた対処法だ、としるふは一人感心した

約束をしたわけでも取り決めをしたわけでもない

無言で出来上がった二人だけの習慣

それが、そんな些細なことが一つ、二つと増えるだけでうれしい

なのに時々感じる不安やもやっとした気持ちは何なんだろう

海斗がこうしてキッチンに立っていてくれることだって、もしかしたらすごいことかもしれないのに

ただ「どこにいってたの」なんていう言葉がなかっただけで

ため息をつきたくなるのは、わがままだろうか
< 127 / 316 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop