蒼の光 × 紫の翼【完】
そんな呟きに反応するかのように、ゆっくりと俯かせていた顔を上げ、わたしを見た。
そして、目を一瞬丸くし、ふいっとそっぽを向いた。
……そうとう大きな傷を受けたようだ。しかも、心に深々と。
「ケヴィさん」
「……」
「それは自分の血ですか、それとも返り血ですか」
「……」
「ケヴィさん。答えてください」
「…………ない……」
「なんですか、聞こえません」
「……俺の血では、ない……」
「よかった……」
「良いわけがないだろう……!」
ケヴィさんは、そう吐き捨てるように言った。
ケヴィさん、違います。そう言う意味で言ったんじゃないんです。
だから、そんな……
今にもどこかに消えてしまいそうな、悲壮感たっぷりの顔をしないでください。
わたしはケヴィさんの左隣に座った。
でも、ケヴィさんはわたしを見ようとしない。
「ケヴィさん。勘違いしないでください」
「……」
「わたしは、ケヴィさんが生きていてくれて良かったと言ったんです。人を殺すことを良いことだと言ったわけではありません」
「俺は……」
「人殺し、ですか?」
「……」
「では、なんのために殺したんですか?ただ殺したわけじゃないですよね?」
「…………ああ」
「では、なぜですか?」
「……護る、ためだ……」
「何を?誰を?」
「国を…………を……」
「よく聞こえませんよ」
「……おまえを、護るためだ」
「カイルさんにも言われました。
天秤にかけたら、自分よりもわたしの方に傾くと」
「……」
ケヴィさんは戦う意味を見失っているんだ。
ケヴィさんだけじゃない、アルさんも、カイルさんも、みなさんも……
確かに、この戦争をする意味は正直に言って、ない。
強いて言うなら、歴史に縛られた結果、だろうか。
中国で、日本は歴史上悪者だと教育されるように、リチリアではケルビンは悪者と見なされている。
過去の柵(しがらみ)に囚われた哀れな末裔。
しかし、柵が古すぎて何を囲っていたものなのか、もはや末裔にはわからない。
古い考えは取り払った方がいい。
古い歯車は錆びすぎてその役割を続けることはできなくなった。そうなれば、取り払うのが筋というものだ。
丹精込めて作ったものだから……愛着が沸いたから……だから、取り除きたくない。
そんな考えは頑固という言葉以外に思い浮かばない。
融通の効かない頑固な考え。
常に世界は変化し続けている。
柵もやがてはいらなくなる。けれど取り払われなかったから、いつまでも残ってその効力をじわりじわりと浸透させた。
ならば、その染みは落とさねばならない。
心から、迷いや雑念を洗い落とすように……
わたしはケヴィさんの手の甲に自分の手を重ねた。
ケヴィさんは引っ込めようとしたけど、わたしは両手でガシッと掴んで逃げられないようにした。
「……離せ。この汚い手からその手をどけろ」
「……ケヴィさん。わたしが暮らしていた世界には、こんな言葉があるんです」
「……」
「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」
その言葉を言った瞬間、弾かれたようにわたしを見たケヴィさん。でもまだ目には影がさしている。
「意味はそのままです。ひとりはみんなのために戦い、みんなはひとりのために戦う。
まさにこの戦争そのままじゃないですか。そう思いませんか?」
「ひとりはみんなのために……」
「みんなのために戦って、泣いて、笑って、生きるんです。ケヴィさんがその心の内で感じていることを、みなさんも感じています。
決して、ひとりで戦っているわけじゃないんですよ」
「みんなはひとりのために……」
「この場合、国のことですかね。国を護るために戦う。国民として……
儚くその一生を終えてしまうかもしれない。けれど、自分が戦えば国は救われるかもしれない。
ひとりはみんなのために死んで、みんなはひとりのために死ぬんです。それが戦争なのだとわたしは思います」
「……俺は、ひとりで罪を背負ってはいない……」
「はい。言い方は悪いですけど、みなさん罪人です。大罪人です。でも、それを自分の国のため、自分の大切な人のためだと、正義をもって戦うことは悪いことだとは思えないんです。綺麗事ですが……」
「戦争には意味があり、俺ひとりだけではなく、俺たちが戦っている。
護るべきものを護りきってから後悔するのが順序に合っているな。今は落ち込んでいる場合ではない。腹をくくらなければ、相手にも失礼だ」
「そうだ。メソメソしやがって、やっと気がついたか」
「いてぇな……何しやがる」
いきなりケヴィさんの頭に拳がクリーンヒットしたから驚いて顔を上げると、カイルさんがちょうど拳を引くところだった。
「メソメソする暇があったら見張りでもやれってんだ。ルーニーはずっとメソメソしているそんなやつらを護り続けているんだからな」
「そうなんですか?」
「ああ。ここは城のちょうど真下だ。城や墓地、厩すべてに風を巡らせ警戒させている。
交代でやってはもらっているが、風の使い手は親父殿、アルバート、ルーニーの順で強い。
親父殿は戦線を行かねばならないから、必然的にルーニーが見張りの大半を受け持つことになった」
「だからここにはいないんですね」
「ああ、そうだ。
ケヴィ、ちょっとは頭を冷やせたか?おまえはどれだけくだらないことで悩んでいたのかわかってんのか?」
「くだらない、だと?おまえはそれが言える立場なのか?」
……やっぱりこの二人って仲が良いのか悪いのかわからない。
話の内容が内容なだけに、真剣な顔つきで睨み合っている。
その横顔が酷似していたから、わたしは思わず息を呑んだ。
……そう言えば、まだ1時間経ってない気がするけど、まあいっか。
「そんなたいそうな立場ではないことは確かだ。だが、指揮官が腑抜けでは部下はついて来ない。王が役立たずでは国は回らないんだ。
生憎、俺には腑抜けになる予定もなければ可能性もない。
おまえのようにいつまでもうじうじとしていたら自分自身に腹が立つ。おまえもそう思わないか?」
「……ああ。そうだな。役立たずな王についていくほど、俺はお人好しではない。未来の王に賭けてみるか」
「何を賭けるんですか?」
「この国の行く末と……」
ケヴィさんは立ち上がってカイルさんに耳打ちをした。
「…………をな」
「……本気か?おまえ」
カイルさんの口調は茶化すような感じだったけれど、目は真剣そのものだった。
「ああ。おまえが生き残れば、の話だがな」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。俺が生き残れば、ありがたくいただく」
「ああ。そうしてくれ。俺はもう……」
ケヴィさんは小さく口を動かしたけれど、わたしには何を言っているのか聞こえなかった。
カイルさんはそれを見て驚いた顔をする。
「……本当か?」
「ああ。全くダメだ。それに身体の他の部分にもガタが来ているようだ。老い先長くはないと本能が訴えかけてくる」
「……カイルさん。わたし言ってもいいですか?」
あのことを話すのは今しかないと思った。
ちょうどその話をしているし、どうやらケヴィさんは感じ取っているように思える。
「……いや、言わなくても俺はわかっているつもりだ。そう、長くは生きられないってことだろ?」
「どうしてそれを……」
「定期的に検診を受けていたんだ。しかも医者はカイル。やぶ医者でなければいいがとは思ったが、とんだ名医だったな」
「ちょ、カイルさん先に言ってくださいよ。わたししか知らないと思って遠慮しちゃったじゃないですか」
「まあ、俺も余命までは知らなかったがな」
「余命だと?笑わせる。それ以外に生き抜いて見せるさ。だから俺には教えるなよその余命を。気にしていたらキリがないからな」
「ふっ……まあ精々頑張るんだな」
二人は拳と拳をコツっと合わせて笑い合った。
でもその笑いは……
お互いをバカにしたように口角をニヤリと上げただけだったけど、でもそれだけ、合った、と言えるほど心が通じ合った笑い方だった。
「カイルー!起きてー!1時間経ったよー」
ドアがバタンッと開けられると、いつも通りのアルさんがカイルさんを呼んできた。
心なしか、すっきりとした表情だった。
……気持ちが定まったのかもしれない。きっと、自問自答の迷路を脱け出せたのだろう。
「もうすでに起きているがな……」
ふっと笑みをこぼしたカイルさんはそう呟くと、声を張り上げて言った。
「皆、起きてくれ、夜明けが来た。俺たちはまたあの惨劇を繰り返さなければならない。しかし、おまえたちは決してひとりではない。
だから、ひとりで抱え込むな。共有しろ。
そして、自分は何のために、誰のために戦っているのかを再確認しろ。
すべてが終わりを迎えた時、柵から解放される。それまで堪え忍べ。
……人殺し。それを罪と呼ぶのなら、俺が全部背負って生きよう。
皆の分も背負う覚悟はできている。いずれ王になる者の務めだからな。
……だから頼む。1分でも1秒でもこの戦争を早急に終わらせるために、力を貸してくれ」
その宣誓に徐々に感情を昂(たかぶ)らせていく戦士たち。
そんな彼らの顔を順々に見回した後、カイルさんはこう囁いて不適に笑った。
───さあ、大乱闘の始まりだ。
「そう言えば、ヘレンさんやセレスさんはどこにいるんですか?」
「……島を見張っている」
「……破壊兵器」
「破壊兵器だと?」
「あの島には、この世界を滅亡させられるほどの威力を持つ光線を放射する機能があるんです」
「ただの未知なる大地だと思っていたが……」
「あれを壊さない限りには、この戦いは終わらないと思います」
「だが、方法はあるのか?」
「外側から総攻撃を仕掛ければイケると思いますが、いざとなればわたしが乗り込んで内側から破壊します」
「そんなことをすればおまえは……」
……わかってます。死にますよね。
でも、死んだとしても悔いはありません。
大切な人を、世界を、護りきることができたということですから。
だから、わたしはそれまで生きます。
自分にできる、精一杯の事をして。
例え、この身が朽ち果てようとも───