蒼の光 × 紫の翼【完】

扉のその先




「こんにちは、犯罪者さん」

「……え?」




わたしはそんな声を聞いて目を開けてみた。


そこは真っ白な空間。けれど、わたしひとりだけではない。


目の前にはかわいい女の子がいた。

小学生ぐらいで、髪は白くて目は赤い。




「わたしが誰だかわかりますか?」

「ええっと……誰だろう」

「あなたが見殺しにしたウサギのお腹の中にいた、赤ちゃんです」

「え……」




あの、お母さんウサギの……?

だから白い髪をして目は赤いんだ。アルビノってやつだ。

でも、どうしてこんなところに?それに人間の姿になっている。




「疑っているのですか?それは残念です。ほら、わたしのお尻には尻尾があるでしょう?」

「あ、ホントだ……」




女の子のお尻には確かに丸くて小さな尻尾が生えている。

ウサギの尻尾そのものだ。

けれど、どうしてわたしの前に現れたんだろう。そもそも、なんで扉の奥にいるんだろう。それに、みんながいなくなってしまった。はぐれてしまったのだろうか。


次々と疑問が浮かび上がってきて混乱してきた。



「あなたの前に現れたのは、あなたを侮辱しに。扉の中は不安定な亜空間が広がっていて、混沌が入り乱れています。他のみなさんも同じように、自分のトラウマと対峙していますよ」

「な、なんでわたしの気持ちが……?」

「ここはそういうところだからです」




つまり、わたしの思考は駄々漏れということだ。うかうかと変なことを考えればあの子に読まれてしまう。

でも、トラウマって?




「あなたにとって、わたしたちは因縁の相手。日頃から意識はしていなくとも、心の隅のどこかには必ずわたしたちとの記憶がありましたよね?
忘れたくても忘れられない。それは時として生きる糧にもなれば、邪魔にもなります」

「そんな!邪魔だなんて……」

「そうでしょうか?少なくとも、わたしたちにはそれがあなたを妨害しているように見えましたが」

「……」




確かに、ウサギの分まで生きよう、とか、頑張ろう、とか、変にわたしのプレッシャーになっていたのは事実。

それが原因で、今のわたしは出来上がっている。

でも、ウサギの死はだんだん克服できているように思っていた。けれど、まだ心の奥底では恐怖の塊であることには変わりないのかもしれない。


現に、今こうして子供のウサギだと言っている女の子を見ていると、恐怖や後ろめたさしか感じない。





「おわかりになりましたか?あなたはわたしたちを忘れることはできないし、忘れてはならないのです。一生、わたしたちはあなたの邪魔をし続けることでしょう」

「じゃあ、わたしにはずっとあなたたちの亡霊が憑き纏ってくるっていうことなの?」

「はい。解放されることはないでしょう」

「そんな……じゃあ、わたしはずっと犯罪者?」

「そうです。見殺しという見えない牢屋の中にあなたはずっと監禁されるのです。
ああ、いい気味です。わたしたちはそれをあなたに要求していました。だって、わたしたちは一度も、外の空気を吸えていないのですから。生を迎えることができなかったのですから」

「くっ……」




意気揚々と過ごしてきた数年間。

ウサギたちにとっては苦痛の連続だったのだろうか。

なぜ楽しそうに笑えるのだ!

なぜ美味しそうに食事ができるのだ!

なぜ誕生日を祝ってもらえるのだ!

なぜそんなにも幸せなのだ!



赤ちゃんウサギたちには訪れなかった幸福。

それを奪ったわたしは果たして、幸せに浸った生活を送っていて良い存在なのだろうか。


トラウマ。それは負のループ。抗うことのできない歯車。


廻る廻る。

世界は廻る。死んだ者たちを残して……




そこで、わたしの何かがぷつりと切れた。




────ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……




女の子は不敵にニヤリと嘲笑った。




「謝っても無駄です。過去は過去。遡ることは不可能ですよ。あなたの今までの数年間でわたしたちは生を全うして、すでに死んでいるかもしれませんが、それでも、生まれる前に死ぬよりは正当というものです!」



わたしは渇れることの知らない涙を流し、うずくまる。

頭を抱えて、できるだけ身体を小さくする。


こんな惨めなわたしを、見ないで!




「泣け!喚け!わたしたちにはそれすらも許されずに殺された!あなたは贅沢者です!しかし、それとともに犠牲を払いました。わたしたちは悲しみに暮れ、そして、憎みました。あなたを!ずっと!これからもです!」



女の子は声を張り上げて陶酔している。


ああ、なんと無様な姿だ!これこそ快楽!わたしたちの求めるあなたの姿!実に滑稽で見苦しい!



……あなたも死ねば、わたしたちの本望というものです。




「……死?」



わたしはそのワードにぴたりと反応した。

クスリと笑みが聞こえる。



「そうです。あなたも死ねばいいのです。そうすれば、痛みを分かち合えて仲直りしてあげてもいいでしょう。さあ、この剣を取って」

「死……」



カキィィンと音がした方を見ると、短剣が一本目の前に滑って来た。

女の子が放り投げたのだ。


わたしはそれに手を伸ばして両手で掴む。




「いい子です。さあ、それを首に当てて、一息で切りつけてください。そうすれば、あなたもわたしたちの仲間入りです。罪は報われます」

「解放、される?」

「はい。あなたは自由になれます」



自由になれる……自由になれる……



ずっと心に隠し続けていた傷痕。

それがわたしをことごとく縛り付け、拘束していた。

それが、この剣を首に切りつけるだけで終わりになる。

もう、何も背負わなくてもいいんだ……



わたしはカタカタと震える手で短剣を首に当てる。

震えのせいで皮膚が少し切れ、血が一筋流れる。

でも、痛みは感じない。もっと深くまで切らないと、痛みを共有できない。



……でも、わたしはそこから動かすことができない。

怖い、怖い、死ぬのが怖い。




「何を躊躇っているのですか?わたしたちは躊躇する時間などなかったのですよ?あなたは死ぬべきなのです。死んで、罪を償いなさい」



死んで、罪を償う?




わたしは何か矛盾しているような気がした。

何が?何が矛盾しているというの?死ぬことこそがわたしの恐怖。その恐怖をこの身に受けるのだから、償うことと一緒なはず。


なのにどうして?

なんでこんなにも歯切れの悪い感覚がするんだろう。





「何をしているのですか!早く死になさい!そして罪を償いなさい!それこそがあなたの幸福というものです!」



死んで、罪を償う……



もう、わたしには女の子の声など届いてはいなかった。


ジークやおばあさんネズミは、どうやって罪を償っていたっけ?

死んでいた?ううん、違う。



生きて、罪を償っていた。




転生してまで、寿命をとうに過ぎてまで、生きていた。

死ぬことが罪を償うことじゃない。



生きて、罪を償うんだ!




わたしは瞳に闘志を携えて、女の子を見つめた。




「なんですかその目は!それこそ犯罪者の目。憎悪に満ちた目というものです!今すぐ止めなさい!」

「いいえ、止めないわ。わたしは生きる」

「この愚か者めが!さらに罪を重ねるというのですか!」

「違う!罪は償う!」




わたしは女の子に歩み寄りながら、徐々にその距離を縮めていった。

縮める分だけ、女の子は後ずさる。

その赤い瞳には涙が溜まっている。




「来るな来るな来るな!」




ずっとそう叫んでいたけれど、どうやら見えない床の端まで来てしまったようだ。

女の子は踏み外しそうになったけれど、なんとか踏ん張った。

もう、逃げるところがない。



女の子はわなわなと震えながらわたしを見上げた。

わたしは頭ひとつ分小さい女の子を見下ろす。



……あ、そうか。怖いんだ。



ケヴィさんがカイルさんに教えていた。

子供は見下ろされるのが怖いんだって。




わたしはその場にしゃがんで目線を合わせた。

腰を降ろす途中、女の子はひいっ!と言ったけれど、そんなことは気にしない。




「わたしは、生きるよ」

「だから…それは…罪人のままでいる…っていうことですか…?」




挙動不審になりながら、問いかけた。

目を泳がせ、指はもじもじと動いている。



「そう。わたしの友達にね、生きて罪を償っている人がいるの。その人たちは自分の運命を受け入れていた。例え理不尽な罪の被され方だとしても、ずっと背負って生きている。それは逃げていないっていうことだと思わない?
死ねば逃げられるような罪でも、ちゃんと向き合って生きている。わたしもそんな強い人になりたいな……って。
まあ、その人たちは人じゃないんだけどね!でも尊敬できる先人たちなんだ」

「それが…あなたの…答えですか?」

「そう。わたしは死んで罪を償わず、生きて罪を償う」

「わかり…ました…では…あの…その…ええっと…」




さっきまでの威勢はどこへやら。ずっともじもじとしている。

ウサギだから仕方ないのかな?



わたしは短剣を床に置くと、その先を待った。



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