蒼の光 × 紫の翼【完】




「アルバート、いつまで寝ているのです」

「はい、母様……」



条件反射でそう答えてしまってから、ふとおかしいと気づく。


母様……?今は母さん、と僕は呼んでいるはず。それにここにいるわけがない。


……でも、でも……この命令口調は昔の母様そのものだ。



僕は体勢を直し声の主を凝視する。



そこには冷徹な若い母様がいた。

厳しい母様。勉強でも武術でも容赦はなかった。

もちろん、力の鍛練でも……



それで何着、服をダメにしたことだろう。



……では、これは幻なのか……?



「そう、わたしは幻。しかし、アルは本物。傷を作れば痛覚はあるわ」

「そう、ですか……あなたは偽物なのですね」

「偽物でも本物でもない。アルの記憶や本人の記憶を元にして形成されているのよ」

「なるほど。では、僕はいったい何をすればいいのでしょうか」

「血液を捧げればいいわ」

「それだけですか?拍子抜けしてしまいましたよ」

「けれど、血液をただ捧げるだけではダメ。このわたしを克服できなければ意味がない」

「……」




……試練、ということか。

自分の苦手なものや嫌いなものがこうして現れるようだ。そして、それを克服する。

克服できなければ、永遠とここにいることになりそうだ。



「わたしの役目は、あなたを殺すこと」

「こ……」

「殺せば、血液が大量に手に入り封印の結界は保たれる。ただ、それだけよ」



殺す、と言われ言葉を一瞬無くしたけれど、現実に引き戻す。

殺られる前にどうにかしなければならないようだ。



「さて、始めるわ」



……この言葉は、母様の合言葉。


今から力を使う、という合図だ。




言葉の通り、風が僕の周りを囲った。

ヒュンヒュンと空気を切る音が聞こえる。


僕は周りに風を作ると、母様の風とは逆方向に回した。


途端に風の音は止む。



「洞察力はなかなかのものね。常に最善の策を遂行する。王の側近には欠かせない能力よ」




母様は元々はヘレン様付きの側近だった。

今となっては陛下もカイルもいるため、引退している。だから、全てを僕に追求した。

勉学、武術、話術、軍師の素質すべて。

もちろん、ピアノもヴァイオリンもダンスも。



ポーカーフェイスもそうだ。自分の考えていることを相手に悟られないようにする。

それこそ、策略家の要。真骨頂。

母様も腹黒い人だったに違いない。今となっては柔和で優しい人柄になったけれど、僕が幼いときは鬼にしか見えなかった。


毎日ビクビクとしながら過ごした。


怒られないように、怒らせないように。


そうして、相手の顔色や心を読むことに長けたのかもしれない。


……特に、負の感情に対して。




「ありがとうございます。僕も無駄に毎日を過ごしているわけではありませんので」

「……そうね。無駄か否かは己ではわからないわ。わたしが確認してあげる」




そう言うと、風を凝縮させて作ったブーメランを投げて来た。

回転しながらこちらに向かって来る。



避ければ後ろから戻って来るはず。そうなれば厄介だ。


僕は風の壁を作ると、それらをすべて弾き返した。屈折させて母様へと軌道を戻す。



「邪魔」



母さんが腕を前に付き出して、手のひらを握った。


すると、風のブーメランはふっと消えた。押し潰されてただの空気に戻ったのだ。


……やはり、一筋縄ではいかないらしい。



「わたしを殺してどうするつもり?殺してしまっては克服できなかったと見なされてお仕置きが待っているわよ」

「……母様の洒落は洒落にならないから怖いです」

「あら、そうかしら。お父さんの親父ギャグの方が悩殺されてしまいそうで怖いと思うわ」

「……それは僕も同感です」



じじいの駄洒落は空気をいっきに氷点下まで下げることができる。

それを外で聞いたが最後、凍え死んでしまいそうだ。




「さて、無駄話も終わり。ここからが本番。わたしを説き伏せてみなさい。わたしの弱点や意表をつくようなことを言えば合格よ」

「……母様に弱点などありませんよね」

「そうでもないわ。でもあなたよりは少ないかもしれないわね」

「……そう、ですね」




僕だって弱点というかトラウマが多い方ではないのに、さらにそれよりも少ないとなると、無いに等しいと思う。

……それなら、説き伏せなければならないのか。自分よりもパーフェクトなこの人を。


……できるのだろうか。




「リミッターを解除しないの?わたしはアルにリミッターを他人よりも多く作るように指導したわね。それは守ってる?」

「はい。きっちりと守っています。二重にも三重にも、厳重に」

「わたしはこれから全てのリミッターを解除するけど、あなたはどうする?」

「……僕はひとつだけにしておきます」

「あら、意気地無し。相手の身を案ずるよりも、自分の身を案じた方が賢明だと思うわよ」

「……いいえ、ひとつだけにします」

「……あの人に似て頑固ね」




あなたも十分頑固です。とは言えず、動きを止める。


神経を研ぎ澄まし、母様の出方を窺う。


……やっぱり、母様の力は凄い。いつの間にか背中を冷や汗が流れて行った。身体は覚えているらしい。


母様への恐怖を。




「はあ、本当に残念。幻滅したわ。冷や汗なんてかいているの?だらしない。実にだらしないわ。それでもハンターを名乗っているというの?いい加減にしなさい」



……説教モードに突入。こうなると誰も止められない。この人の静かなる怒りをおさめられる人は多分いないだろう。



「むしずが走るわ。我が子ながらに情けない。やはりわたしからもお仕置きが必要なようね」



……正直いらないが、ここはありがたく受け取っておこう。



母様はそう言うと、何羽もの大きな鷲(わし)を出現させた。風の鷲。何もかもが鋭く精巧に作られている。

嘴、翼、爪。


どれも殺人道具に成りかねないきわどさ。



僕も風の鷹を作り出す。こちらは鷲よりも小柄だが、スピードは勝っているはずだ。勝率はある。




「行きなさい」

「行け」




母様と僕はほぼ同時に命令した。

両者の僕(しもべ)は激しく乱闘を始める。どちらも傷つき、次々と消えていく。



……しかし、あちらの方が少し上手(うわて)だった。


鷲が翼で作り出した風が諸に僕に直撃したのだ。鷹をも蹴散らすその威力。

さっき作った壁がまだ目の前に残っていたけれど、それすらをも破壊し僕を襲う。



「……弱い。リミッターを解除しないからこうなるのです。極限まで外せば攻撃を受けなかったはずよ」

「……僕は、外さない」

「やせ我慢、ね」

「……」




咄嗟に左手で顔を守ったため、左腕全体に切り傷ができた。血が滲み、手先から滴り落ちる。

……どうやら本気らしい。




「……前言撤回いたしましょう。僕もリミッターを解除しようと思います」

「……そうこなくては。面白くないわ」

「……面白いかどうかはわかりませんが」




僕の足もとから風がぶわっと放たれた。力がたまらず漏れ出てしまっているのだ。


僕の力の底は未知数。何といっても、その本気を出したことがないからだ。僕自身どうなるのかわからない。力に堪えきれずにこの身が崩壊してしまうかもしれない。

……けれど、殺られるよりはマシだ。



僕は風を操り宙に浮く。母様も僕に習って宙に浮いた。

……どうやら空中戦がしたいようだ。


宙に浮いても止まらない赤い液体。なかなかに鬱陶しい。



「そのまま封印に血を捧げればいい。結界は血に飢えているから」

「……母様、行くよ」

「宣戦布告なんていらないわっ!」



僕たちは空中で身体をぶつけ合った。毎日筋トレをしていた母様。細い肢体の割には固く引き締まっている。

僕も細身なため、骨と骨がぶつかり合っているのではないかというぐらい、音が鈍い。


……しかし、母様は僕の左腕ばかりを狙って来る。戦闘での傷は命取り。


攻撃が傷に当たる度に顔をしかめてしまう。やはり、痛い。痛覚は正常に働いているようで煩わしい。こんな傷を負うとは情けない。




「どうした?動きが鈍くなってきているわよ」

「……くそ……」



滅多に口にしない言葉を吐き捨てる。それほどイライラは募っていた。母様に傷をつけられないことが。僕はこんなにもボロボロだと言うのに……



遂に僕は床に足をつけた。力が限界だ。長時間リミッターを解除し過ぎてしまった。

目眩がする。吐き気も込み上げて来た。


しかし、ここで弱みを握られては……



「あら、目眩がするみたいね。目が微妙にさ迷っているわよ。隠しきれていないわ」

「……う……くっ……」




動悸が激しい。それに伴い血液の循環も速くなり血がさらに噴き出す。

たまらずその痛みに右手で左腕をおさえた。



「痛いのね、かわいそうに。今楽にしてあげる。そうね、その左腕を切断してあげましょうか。風でスパッと……」

「……つっ!」



僕はその言葉で焦る。左腕を失うのはイヤだ。けれど、そんなことは到底伝わらず、左腕をその細い指に掴まれる。

傷も一緒に握られたため、痛みに声を上げる。



「ぐあぁぁぁぁぁ!!」

「あら、ごめんなさいね。痛いわよね。待ってて、すぐに楽になるから。でも勢い余って心臓も切ってしまうかも。何か言い残すことはある?わたしは優しいから情をかけてあげるわ」



いろいろと冗談じゃない。優しいわけがないだろう。それに心臓も切られたら本当に死んでしまう。


最後に気力を絞り、口を開く。




「母さんに、会いたい」

「母さん?わたしならここにいるじゃないの。変な子」

「おまえじゃない。本物の、母さんに会いたい」

「わたしは偽物だって言いたいの?馬鹿馬鹿しい」

「会って、お礼をしたい」

「……」

「育ててくれて、ありがとう、と。厳しかったけれど、それがあったからこそ、僕は立派に王子の右腕として働けている、と。それから、母さんも好きで冷たくしていたわけじゃないって知っていた、と」

「……あんたって子は……口車にうまく乗せようという魂胆はわかっているのに……どうしようもなくバカね」



……最後のバカは誰に言ったのだろうか。


母様は言葉とは裏腹に僕を抱き締めた。左腕に当たらないように、気をつけて。



「母、様……?」

「わたしはずっとこんな鬼な母親を演じていていいのか不安だったの。何一つ母親としてしてあげていなくて……お父さんにも何度も相談したわ。でも、わたしもこんな教育を受けていたからどう接すればいいかわからなかったの。
でも、ヘレンにも相談して教わったわ。子供はちゃんと自分への愛情を感じているって……
だから、許して……アル……」

「……母さん……ありがとう。さようなら」




けれど、僕の言葉は母様の光と共に消えていった。

血も、傷も、元通り。やはり幻なのだ。



「今度は本物に言ってあげないとね……いつになるかはわからないけど」



僕は現れた扉のドアノブを回しながら呟いた。





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