蒼の光 × 紫の翼【完】
下品な男共が押し掛けて来たの。わたしは拒んだわ。最近音沙汰なかったからすっかり油断していたの。
拒んだわたしを鬱陶しく思ったのか、まだ歩き始めたばかりのケヴィに暴力をふるい始めたの。わたしは身体を張って止めに入ったわ。
でも結局、わたしにも手をあげられて死ぬ寸前までそれは続けられた。
意識が飛ぶ直前に、彼と仲間の人たちが助けに来てくれたの。
それで事なきを得たけれど、またいつ目を盗んで襲われるかわからないって言って、彼はわたしを街の外に出そうとした。
けれど、まだわたしの中で結論は出ていなくて、さんざん拒否したわ。でも、そんなわたしに彼は離れることを告げたの。
これ以上はここに居られないって。
元々旅人だし、仲間も巻き沿いにしていたから居心地が悪くなったみたい。結論を迫られた。
……わたしは、彼を取ったの。
彼はわたしにとってなくてはならない存在になっていたわ。あなたを置いていくことに罪悪感はあったけれど、でも、何もできないわたしといたってかわいそうなだけ。
だったら、未来を持っている彼について行った方が、幸福な未来は確実。
……ごめんなさい、ケヴィ。わたしにはどうしても自分の幸せしかそのとき思い描けなくて、あなたを置いて行ったの───
「……ふざけるな」
「ええ、そんなことはわかって……いるのっ……」
俺の言葉を聞いた彼女は堪えきれなくなり、涙を流し始めた。
……ふざけるな。
「それはあんたの勝手な解釈だろ?そんなんで軽く謝罪の言葉を口にするな」
「うううっ……」
「俺はあんたを母親だとは思っていない。俺の家族は庭師のみんなだ。俺はあんたと別れて憎しみに触れ、優しさに触れた。これでもあんたには感謝しているんだ。今の俺がいるのは、あんたのおかげだとな」
「よくも……よくもそんなことを言えるものね……」
彼女は怒気を含ませた声を発した。
俺は続きを待つ。
「毎日毎日我が子の安否を案じていた親の気持ちも知らずに……そんな悠長なことを……」
「そんなことを思っていたのなら、俺を連れて行けばよかったんだ」
「あなたのことを思って身を切るような覚悟を、わたしは決めたのよ。あなたのことを思って……」
「生憎、俺は生きている。あんたの判断は間違っていなかったのだから、素直に喜べばいい」
「……わたしは死んだのよ!しかも、夫に殺されて……」
「なんだと……?」
夫に殺された?さっきまで彼が……彼が……と嬉しそうに言っていたのに。
いったい何があったんだ……?
「……わたしは盲目だったから、普通の人みたいな暮らしはできなかった。働くことも、家事も満足にできなかった。彼はそんなわたしを助けるために、集団から離れ一緒に街に住むようになったの」
「いいことじゃないか。あんたの願いは叶えられた」
「……そうよ。叶ったの。幸福な未来への第一歩を踏んだの。でも、彼にとっても幸福なのかどうかはまた別」
「……まさか」
「そうよ。結婚もしていたのに、夫は浮気をし始めたの。旅人のときは特定の相手を作らないようにしていたらしいけど、たまたま関係のあった人と再開して……それで……」
「……」
「それで、わたしは夫にせがんだの。浮気なんて止めてって……でも、聞き入れてくれなくて、喧嘩になったとき……彼に誤って刺された。わたしがもともと持っていた包丁でね」
「なぜ……そんなものを……」
「……心中しようとしていたの。当時のわたしは情緒不安定になっていて、普通ではなかった。そんなとき、喧嘩になって……彼は泣いて謝った。けれど、手遅れだったの。刺し所が悪くて……」
そんなことがあったとは。どこかで両親は今でも暮らしていると思っていたが、とんだ検討違いだった。
……そんなことが起きていたとは。それに、俺の出生の秘密も聞くことができた。カノンの話のその先を聞くことがでした。
しかし、聞かない方が良かったのかもしれない。
俺には偉大なる血と穢らわしい血が混ざっている。そんな俺は、死ぬべきだったのかもしれない。
真実を知らない当時でさえ、思っていたことだ。だが、頭に会ってその考えは一変した。
……生きたい、と思った。
死ぬということは、諦めるということ、放棄するということ。自分の運命を受け入れられずに……
俺は運命を受け入れ、未来を手にいれた。しかし、その未来も残り僅かだという。
……最期の最期まで、生き抜いてやる。
彼女はゆらゆらと頭を振り、顔を上げた。その瞳には憎悪しか感じられない。
……俺も連れて行く気か?
「あなたも、死ねばいいんだわ……わたしと一緒に来ましょう。今からでも遅くはないわ」
「……もう遅い。俺にはあんたについていくメリットなどない。そんなことをしても、自己満足なだけだ」
「黙りなさい!あなたはわたし無くしては産まれなかった存在なのよ?わたしが生を与えたのだから、生を奪う権利もあるの!」
「……馬鹿馬鹿しい」
「さあ、あなたも死になさい!」
彼女は壊れたようにケタケタと笑うと、水を辺りに撒き散らした。どうやら力は使えるようだ。
……しかし、まだコントロールできていないようだ。使ったのは初めてなのかもしれない。
彼女はニヒルに笑うと、今度は腕を上にあげた。
「キャハハハハハッ!あなたも死ぬのよ!」
上にあげた手を地面につけると、俺の周りに飛び散っていた水が鋭利な短剣に変形し、襲いかかってきた。
「しまっ……!」
俺はコントロールのなさに油断していたため、諸に攻撃をくらう。
腕を交差させて急所は守ったが、足や腕、後頭部にまで傷を負ってしまった。生暖かい液体が身体中をつたう。
たまらず膝から崩れそうになる。しかし、倒れるわけにはいかない。
なんとか足を踏ん張り、体勢を立て直す。
「やはり生命力は尋常ではないようね。でも、また同じことをされれば……死ぬわ!」
「くそっ……」
また彼女は水を撒き散らす。
……させてたまるか!
俺は水という水をすべて熱して、蒸発させた。
……くそっ!力が弱い。
流れる血と共に精気も流れ出る。うまく焦点が定まらず、彼女の輪郭が二重に見え始めた。
……貧血、か……
「あら、目が踊っているわよ?どう?死へのカウントダウンは。聞こえる?わたしには聞こえるわよ。限りなく死期は近いって!」
後頭部の傷が痛手らしく、脈に合わせ頭が割れるように痛みだす。
……くそっ!くそっ!くそっ!
俺は心の中で悪態をつくことしかままならず、棒立ちになったまま、微動だにできないでいた。
「あら、動けないのかしら?そうねえ、どうやったら動くようになるかしら……あ、そうね。使い物にならないその右耳を削ぎ落としてあげましょうか」
「?!」
俺は声にならない声を出す。止めてくれ。死んでしまう。死んでしまったら……
ぎゅっと瞑った瞼の裏にあいつの顔が浮かぶ。
……あいつを護れなくなる!
ヘラヘラと笑うわりには賢く、やるときはやる女だ。俺の暴走を命懸けで止めてくれた。
そんな猪突猛進型のあいつを止める役目は、俺にある……いや、俺にしかない!
「くそがぁぁぁぁ!!!」
俺は雄叫びを上げて、炎の渦を作る。水の短剣が飛んで来てもこれなら平気だ。そして、その輪を広げ、ジュッ……と浮かんでいた短剣を蒸発させる。
「まだ力が残っていたというの?!……でも、あなたの身体が滅びるのも時間の問題ね……」
「あんたの滅びる時間もな!」
俺はその渦をいっきに凝縮させると、彼女に向かって思いきり放った。
彼女はその動きについていけず、炎の中でもがく。
「おのれぇぇぇぇ!」
「はあ……はあ……」
叫びを聞きながら、尻餅をついた。
燃え盛る炎の中で歪んだ顔を晒す彼女。しかし、だんだんとその顔は穏やかになっていった。
「……悪人なんて、わたしには向いていないわね。現に……こんなにも嬉しいのだから」
「……」
もう、憎悪の満ちた瞳ではなかった。
優しさを含んだ瞳で、俺を見据える。
「あなたは……本当に優しいのね。あなたの炎は……熱くないわ。けれど、確実に燃えている」
「……」
ただたんに力不足だったと言えば済む話だが、俺はそれを否定しなかった。
……それは事実だから。戦争のとき、熱くない炎を放っていた。
苦しまないように……
彼女の髪はちりぢりに焦げ始め光沢を失い、白いワンピースは黒く染まる。
しかし、その青い瞳からは輝きが失せていなかった。
「……わたしは殺された後、火葬されなかったの。ただ土に埋めるだけ。埋めてくれたのは彼だけれど、嫌々という感じだった。それで察したの……彼はもう彼ではないって。変わってしまったんだって」
「あんたは……変わったか?」
「どうでしょうね。わからないけれど……愛する人たちに殺されて、わたしは幸せ者かもしれないわ」
「……俺も、変わった。護るべき者ができて、他人を思いやる心を知った。昔の俺は、自分のことしか考えていなかったから……」
「わたしたちはやっぱり親子ね。似ているわ……」
何が、と聞こうとしたが、もうそこには何もなかった。
今まで俯いて答えていたせいで、彼女の二度目の最期を見届けられなかった。
俺の服は元通り、傷も見事に消滅しており、痛みもなくなった。
そこには俺と、扉。
そして、彼女がいたところには、小さくてきれいな水溜まりがきらきらと輝いていた。