蒼の光 × 紫の翼【完】
俺とケヴィのあの勝負。
俺にも俺なりの気持ちがあって提案した。
勝てたことのないケヴィに、俺が勝ったら訓練生を止めろ、と言った。
それはひとつの賭けだったのかもしれない。
一度も勝てたことのない俺に、勝てるかもしれないチャンスが舞い降りた。
しかし、それに反比例して、ケヴィには勝って欲しいと願う自分もいた。訓練生を共に続けていたい……
矛盾した俺の中は、胸焼けがするほどもやもやとしていた。
そんな中戦った俺。
結果は俺の勝利。しかし、ケヴィには大きなハンデがあった。片耳が不自由なケヴィに勝ったところで、それは自己満足にしか過ぎない。あいつの本気が出されないまま終わった勝負。
俺は何もかける言葉の見つからないまま、ケヴィに背を向けた。
……それは、俺の矛盾した心に、さらに追い打ちをかけた。
勝って欲しかったのか負けて欲しかったのかわからなかった。まだ共に訓練生を続けていたかった自分がいた一方で、ケヴィに勝てたじゃないか、俺は強くなったんだと美化する自分がいた。
……萎えたのだ。ケヴィにも、俺自身にも。
何か言ってやれば何かが変わっていたのかもしれない。しかし、その何かを言ったところで、当時の俺だったら傷つけることしか言えなかったかもしれないが……
このもやもやとした気持ちをどうにかしてくれ!と叫ぶ俺の心。結局、俺はそれを誰にも相談できず、ただ時間だけが過ぎて行った。
……そのうち、アルバートとケヴィが会っていることを知った。
ケヴィは庭師の仕事に目覚め、楽しく暮らしているらしい。
それを聞き、俺は何かに急き立てられるかのようにして会いに行った。
……そこで俺は見た。生き生きと仕事をしているケヴィの姿を。そして、嬉しそうに楽しそうに仕事についての話を俺にしている姿を。
それだけで、十分だった。俺の中に居座り続けていたわだかまりは、嘘のように消えていった。
……あのとき、俺は勝って良かったのだ、と。
それ以来、ケヴィの容態を確認するという口実で、しばしば会うようになった。
あの勝負は俺たちの分岐点だったのだと思う。
あれがあったからこそ、今の俺たちがある。
ケヴィにとっては苦痛な過去だったかもしれないが、それは俺も同じこと。
今では心が通じ合い、腹を割って話せる仲だ。
……しかし、やはり俺のどこかで、ケヴィに対する罪悪感が残っていたのかもしれない。
「大人の俺に対しては心を許しているようだが、子供の俺はどうだ?憎いだけだろう?いくら勝負をしても負けてしまう高い壁。その壁はすぐ近くにあるというのに、ひびひとつ見つけだせなかったのだから」
「……」
「俺は常に見られていたから、負けられない、カッコ悪いところを見せたくない、と思いながら勝負を受けていた。おまえも本物の俺もすっかりと忘れていたが、俺は覚えている」
「……それは、何だ」
俺の問いかけに、すっと横にずれたケヴィ。
しかし、俺の目線はその場から動けなくなった。
ずっと一点だけを見つめる俺の瞳。その瞳に映っているのは、ひとりの少女。黒髪で黒目をし、だぼっとしたコートからはつなぎのズボンが見える。
……まさか……
「その、まさかさ。こいつはカノン。おまえが愛して止まない女さ」
「カ、ノン……うぐっ……」
「おまえは記憶を書き換えられているんだ。無理やりその記憶を引き出し、おまえを壊してやる!」
「うぐあ……」
───怖がる目で見つめる黒い瞳。
目線を合わせると、ほっとする小さな身体。
菓子を食べるときの夢中な表情。
遊んでいるときの、無邪気な笑顔と笑い声。
戦っているときの、心配するような眼差し。
負けた後の慰め。そして、自分は存在してはいけないと言ったときの、無表情だがどこか寂しげな雰囲気。
……なんだ、これは……
脳裏に走馬灯のように駆け巡るそれらは。
忘れていたそれらは。
……俺にとってかけがえのない思い出、記憶。
だが、カノンによって封じられていた記憶には、決して開かない鍵がつけられていた。
その鍵が、こじ開けられようとしている。
頭が、痛い……
俺は堪えきれなくなり、その場にうずくまった。立てないほどの激痛。
暑い、熱い、あつい。
目の奥が焼け焦げそうなほどにチリチリと痛みだす。やめてくれ。もう、いい。カノンは、今のカノンで十分だ。例え昔会っていたとしても、それで懐かしさや愛しさを感じているとしても、そんなことは関係ない。
俺は……
額に脂汗が浮き始めた頃、足音が近づいて来た。
「カイルおにいちゃん、だいじょうぶ?」
「や、めろ……」
その声を聞いているだけで、さらに記憶の鍵がこじ開けられる。
やめてくれ……何も言わないでくれ……
その、高い声を、聞かせないでくれ……
「ぐあああああ!!!」
「おにいちゃん?くるしいの?つらいの?」
俺は堪らず声を張り上げた。頭を抱え、ずっと横に振り続ける。
お願いだ、何も言わないでくれ。頼む。
その幼い声を俺に聞かせないでくれ。頭に呪文のように襲いかかってくるんだ。
……頭が、割れそうだ。
「じゃあ、いま、らくにしてあげる」
「……?」
ちらっと幼いカノンを見上げると、その手にはキラリと光る短剣が握られていた。
……おまえ、まさか。
「これをあたまにさせば、いたみはなくなるかな。ね?ケヴィおにいちゃん」
「そうだ。カイルお兄ちゃんは楽になれる」
ケヴィがカノンの隣に立ち、その小さな頭を撫でた。
……くそっ!イカれてやがる。
こいつは本物ではないが……そんなことをさせたくはないし、されたくもない!
「どこをさせばいいかな?」
「そうだね……頭か心臓どちらかかな」
「まっててね、カイルおにいちゃん。すぐにいたくなくなるよ」
カノンは短剣を両手で握り、切っ先を俺に向けた。
……ヤバい、避けられそうにない。
頭痛が激しすぎて、身体が動かない。それに、なんだかぼーっとしてきやがった……
俺の心臓にとうとう刃が向けられた。
カノンは相変わらず無表情だが、ケヴィは本人でもしないようなニタリ顔をしている。
「さあ、殺ってごらん」
「うん」
俺の軍服に切っ先が当てられ、あと一息、というところに声がかかった。
「おーい、カノンは何をしているのさ。それを僕に渡してよ」
「……あ、おじいちゃんだ。はい」
「……ちっ。厄介なのが来やがった」
のんきな声と共に俺の頭痛は嘘のように消え、カノンは誰かの手のひらに短剣を渡した。
俺は顔を上げ仰ぎ見る。
……そこには、知らない男が立っていた。
が、しかし。
「……父さん?」
「ん?……ふっ!あはははは!これは傑作だ!おもしろい!確かに見間違えてもおかしくはないな」
「……」
父さん似の男はそう言い、笑い始めた。
……いや、待てよ。よく見れば瞳は黒だ。それに、カノンはおじいちゃんと呼んでいた。
……誰なんだこいつは。
「僕の正体を知りたいって?きっと驚くと思うよ。僕は頭だよ。か、し、ら」
「は?じいさんなのか?」
「大正解!若返って君の前に現れたのさ」
「だが、なぜ……」
「君を護るためさ」
俺を護るため、とはどういう意味だ?
俺が殺られる、と?確かにカノンに殺されそうにはなった。
しかし、俺だってみすみす殺られるような立場ではない。
「僕が来なかったら君死んでたろ?僕は君を死から護るためにここに来た」
「……」
「あ、疑ってるでしょー」
……確かに疑ってはいるが、そのことを疑っているのではない。
外面と内面のギャップが激しすぎるのだ。
俺の父さんにどこか似ているその男。父さんよりは幾分若く見える。
しかし、話し方でさらに若さを感じる。
……こんな若い時が頭にはあったのか。
「……無駄話は終いだ。さっさとそいつを殺らせろ。というよりなんでおまえがここにいる」
「だから、護るためだって言ってるのに」
「こいつの魂が欲しいんだ 」
「それなら僕でも代用できるはずだけど」
「なんだと?」
ケヴィとじいさんの間で会話が交わされるが、内容がいまいち掴めない。
魂、とはなんの話だ?
「あれ、知らないの?僕にも刻印があるんだ。背中にあるんだけれどね。なんなら見る?」
「……いや、いい。そこまで強要はしない。だが、それは俺でも知らない事実だ」
「それはそうだよ。今まで隠して来たんだからさ」
誰か、説明をしてくれ。じいさんは何を隠していたって言うんだ。それに初対面なのかそうではないのかよくわからない二人だ。
話している二人を傍観する俺に、カノンが近づいて来た。
「おにいちゃんしらないの?」
「なにをだ」
「りゅうのこくいんのこと」
「龍の刻印だと?それを知らないわけがないだろう」
「そのこくいんをもつひとのたましいがひつようなの」
「なにが必要としているんだ?」
「ふういんが、ほしがってるの」
「封印がか……?」
封印が龍の刻印を持つ者の魂を欲しがっている?だが、なぜだ?なぜ欲しがるんだ?
「そのたましいがないと、ふういんまでたどりつけない。だから、ひつようなの」
「それが無ければたどり着けないということか」
「そのこくいんを、おじいさんはもってるんだって。それはケヴィおにいちゃんもわたしもしらないことだよ」
「俺だって初耳だ」
背中に刻印があるというじいさん。
……刻印がある、ということは、じいさんも王族なのか?!
しかし、瞳は黒だ。それに庭師をしているではないか。身分が合わない。
……いったい、どうなっているんだ。信じ難い話だが、父さんに似ている容姿がそれを物語ってはいる。
……ん?待てよ、思い出したぞ。確か紫姫の話はじいさんから聞いたような……
「例えおまえが継承者だとしても、俺たちはこいつの魂が欲しいんだよ!おまえではない!」
「年上に対しておまえ、は酷くない?」
「知るか!それに俺の方が格が上なんだよ!おまえは死んでいるんだから引っ込んでろ!」
「……身分なんてくそ食らえだもんだ!僕を怒らせたね?どうなっても知らないから」
「ああ!望むところだ!」
……ヤバイな。戦闘が始まっていやがる。流れ弾がいつ飛んで来るかわかったものではない。
それに、俺もいつまでも座っているわけにはいかないしな。