蒼の光 × 紫の翼【完】
「カノン様、失礼します」
「どうぞー」
それから、しばらく経ってリリーちゃんが戻って来た。
カートの上に乗っているのは……マドレーヌ!
「マドレーヌ!わたし焼き菓子大好きなの!」
「ふふふ……そのようですね。一瞬にして目のいろが変わりましたよ」
「え、そう?あははは……」
「レモンティーをご用意しました」
「いいねー、爽やか系。リリーちゃん紅茶いれるの上手だし」
「いえいえ、でもありがとうございます」
次々と陳列されるカラフルなマドレーヌ。
緑にピンクにオレンジに茶色。
抹茶とイチゴとプレーンとチョコかな?
わたしはレモンティーを待てず、ピンクのマドレーヌに手を伸ばしパクっと頬張った。
「甘いしおいしい!久しぶりだよ甘い物!」
「それは良かったです」
その言葉と共に目の前に置かれるレモンティー。
ゆらゆらと揺れる水面に、わたしの顔が映る。
「ここに傷があったんだね……」
さっきまであったであろう場所を指でなぞる。
完全に治っているからすごい。
「そうですね。お綺麗な顔に傷が残らなくて良かったです」
「またまたー。お世辞はいいって」
「いえいえ、お世辞ではありませんよ」
そんな和やかな会話をしつつ、マドレーヌをつまむ。
……もう、終わったんだな。何もかも。
封印のことも、紫姫のことも、戦争のことも。
いっきにたくさんの事が解決して、逆に現実味がない。
もぐもぐと咀嚼しながらあれこれと考える。
「そう言えば、今何時?」
「ちょうど3時ぐらいです」
リリーちゃんがちらっと見た方向を見ると、そこには壁掛け時計があった。
なんだ、気がつかなかった。
「3時かー……地下のみんなはまだ仕事中だね」
「会いに行きたいんですか?」
「うん、まあ……ケヴィさんと話がしたいなーなんて」
「それなら、今夜会えますよ。宴がありますからね。国民みんながお祝いモードですよ。戦争が終わったという祝福を祝うために」
「そうかー、みんなにはそうなるのか。わたしたちにとってはそれ以外にもあるよね」
「そうですね。ありすぎます。しかもどれも意味がありますよね」
「ありありだよ。それをいっきにお祝いしちゃうなんて、なんだか申し訳ない気分」
「でも、いいんですよ。それで」
「そうだね。それでいいんだよね」
わたしは相槌を打ちながらも次々とマドレーヌを平らげる。
終いには、もう無くなってしまった。
「ああ、もう無くなっちゃった。ごちそうさまでした。おいしかったなー」
「良かったです喜んでいただけて。わたしが作ったんですよ」
「え、そうなの?」
「はい。カノン様がいつ目を覚ますかわからなかったので、朝方に作ったものですが」
「そんな早くから作ってくれたの?ありがとう。お陰でおいしいマドレーヌが食べられたよ。いいなー、お菓子が作れるなんて。女子だね女子、まさに女子」
「カノン様も十分女子ですよ。乙女です。もしよろしければ、今度一緒に作ってみませんか?わたしがついているのですから、おいしくできますよ」
「うん……じゃあお願いしようかな」
「はい!楽しみにしていてください!」
リリーちゃん、ごめんね……それは叶いそうにないんだ。
わたしに今度なんて、無いの。
わたしも、もちろん楽しみだけど、無理だと知ってるから笑顔で頷くことしかできない。
リリーちゃんみたいに、心の底から笑えないんだ。ひどい友達だよね、わたしって……
秘密にしていなくちゃならないの。友達に話せないなんて、友達失格だよ……
「どうかしましたか?顔色が優れないようですが……」
「うーん、ちょっとはしゃぎ過ぎたかな?なんだか疲れちゃったみたい」
「そうですか、それは仕方ありませんよね。生死の境を行ったり来たりしていたのですから。では、お部屋に案内いたします」
「お部屋って、もしかして……」
「カイル様のお部屋ですが」
「やっぱり……そこしかないよね」
「はい……?」
「ああ、ごめん。気にしないで、他に部屋が無いんでしょ?」
「すみません……今は人手が少ないので、護衛をつけられないんです。なので、カイル様の護衛を代用しようということになってまして……」
「いいよいいよ。部屋の前にいたもんね、二人。外出中のカイルさんにもたくさん護衛がついているんでしょ?無理強いはしないよ」
「はい、すみません……」
その後、黙々と歩き部屋につく。出たときと同じように護衛さんにぺこりと会釈をして、中に入った。
「何かあれば、外の二人に言っていただければいいですよ。わたしが飛んで行きますから」
「走って来るんでしょ?さっきみたいに」
「あ、あれは……緊急事態です。忘れてください……」
「ふふふ……じゃあね、何かあれば呼ぶから」
「はい、では」
パタンと閉まるドア。それを見届けてカイルさんの大きなベッドにダイブする。
上質なマットがわたしを受け止め、ギシッと音をたてた。
仰向けにゴロンと横になり、深呼吸をする。
外はまだ明るい。けれど、着々と準備は進められているようで、少し人々の声が聞こえる。
みんな、楽しそう。
聞こえてくるのは明るい声だけ。笑い声が絶えない。
それは、わたしたちのお陰なんだと思うとうれしくなる。
別れはあったけど、その別れがあってこその今がある。
全て無駄ではなかったんだ。無駄なものなんてひとつもない。
本当のお母さんの死でさえも……
「くっ……ううっ……」
走馬灯のように思い出が蘇り、目頭を熱くさせる。
直したての整ったベッドにわたしの涙が染みを作る。
落ちては吸い、落ちては吸い。
思い出を奪い去っていくかのごとく、吸収されていく涙。もう戻れない日々。
いろいろと、あった。いろいろと、あったのだ。この短期間の中で。
まだ1ヶ月もこの世界にいないのに、1ヶ月も、1年もここにいたような錯覚を覚える。
子供の時にここにいたからかもしれないけれど、わたしはこの世界が好きなんだな、と思う。
地球での生活も良かったけれど、でも、わたしの居るべき世界はここなんだ、と思う。
でも、もうすぐお別れだ。皆さんとも、この世界とも。
消えた後どうなるのかはわからないけれど、でも、わたしには苦渋の決断をしたのだから怖いものなんて、無い。
皆さんの記憶から、わたしを抹消させる。
それが、わたしの決断。もう、変える気はない。
ケヴィさんの最期を見届けてたかったけれど、それは無理そうだ。側にいてあげたかったけれど、無理なんだ。
わたしにとっては本当のお兄ちゃんのような存在だった。
裸を見られてかなり恥ずかしかったけれど、特に特別な感情は抱いていない。
でも、カイルさんにはなぜか惹かれていた。
いつからかなんて、わからない。なぜかなんて、わからない。
恋に始まりも終わりもない。ただあるのは、愛しさだけ。
でも、それは叶わぬ恋。やはり、片想いで終わってしまうのだ。
それなら、それでいい。わたしが辛くなってしまう。忘れるカイルさんには関係のないこと。
この気持ちは内緒にするんだ。もし、両想いなんかになっていたら、別れが悲しすぎる。
報われない恋なんて、無かったことにすればいいだけの話だ。最初から、何も無かったんだ……何も……
いい加減鼻水が溜まりすぎて痛くなってきた。
わたしは洗面所に向かう。
そして、バシャバシャと勢い良く顔を洗う。
こんな顔、みんなに見せられない。見せられるはずがない。
顔と手が冷たい水によって感覚が奪われ始めた頃、ようやく止める。
タオルで拭いて、何も無かったかのような仏頂面の顔を鏡に映す。
そこでふと、視界に入った銀色の丸いもの。
それは、封印に使われた鈴だった。ひとつしかないから、片方はカイルさんが持っているのだろう。それを摘まむ。
赤い糸にぶら下がっている小さな鈴。
わたしに赤い糸なんて、そもそも無かったのにな。羨ましい。
その鈴に小さな嫉妬を抱いていると、パーン……パーン……と、まるで運動会の開催を事前に告げるような花火の音が響き渡った。
そう言えば、お祭り何時からなんだろう。
鈴を手に握りしめ、洗面所から出て部屋をキョロキョロと窺う。
時計はベッドと窓の間にあった。どうやら4時ぐらいのようだ。
マドレーヌを食べ始めてからそんなに時間が経っていたのかと驚いたけれど、外の様子からして、始まるのは5時ぐらいになりそうだ。
時計から窓の外に視線を向けながら思う。と、見慣れた人が窓の外にいて思わず窓を開ける。
……あの後ろ姿はケヴィさんだ!
ニックさん、リックさんと共に並んで歩いている。三人の腕には荷物がたくさんあった。
多分、何か催しものをやるのかな?屋台とか。
改めて、街がすっかり元通りになったな、とケヴィさんたちを気にしながら思う。
あの長い戦いが嘘のようだ。いや、実際はそう長くなかったのかもしれないけれど。
三人はあるひとつの建物の中に入って行った。そこがお店になるのだろう。
その場所をふむふむと頭の中にインプットして、しばし物想いにふける。
そよそよと髪を撫でる風。傾き始めた夕陽。人々のざわめき。
これら全てとお別れ。でも、お別れしてもいいや。
護れたんだから。紫姫が完全にいなくなって、平和を取り戻せるんだから。
わたしひとりが居なくなったって、世界は廻り続ける。
もうすぐ役目を終える歯車。
それは、仮でつけたもの。職人の気紛れ、飾り、遊び心。
でも、やっぱり飽きてきてそろそろ取り除かれるんだ。
他の歯車は仲間がいなくなって寂しく思うだろう。けれど、すぐに忘れる。
なぜなら、世界は常に廻っているから────