蒼の光 × 紫の翼【完】

育ての親





「……頭。今までありがとう。さようなら」




わたしの頬を涙がつたう。握っているのは頭の冷たくなったしわくちゃな手。

ケヴィさんがわたしの頬を優しく拭って、抱き締めてくれた。

わたしはその広い胸に顔をうずめて、声をあげて泣いた。

……ケヴィさんから回された腕はまるで、おまえはどこにもいかないよな?とでも言うかのように強かった────





遡ること朝方。

わたしは目を覚ました。なんだか胸騒ぎがして、起きてしまったのだ。



「なんだか、嫌な感じ……」




窓から覗く空も、どんよりとしていた。

ティノはまだぐっすりと眠っている。


ティノは最近よく眠るようになった。

成長期?とも思ったが、大きくなっているようには見えない。もしかしたら、力を蓄えているのかもしれない。

……なにか、大きな力を。




わたしは書斎室へ向かった。

あそこに行けば、誰かしらはいるはずだからだ。

この不安感を少しでも和らげたかった。




「あれ、アルさん。起きてたんですか?」

「僕は早起きなんだよ。カノンこそ、今日は早いね」

「なんだか、胸騒ぎがして起きてしまいました」




書斎室には机に向かってなにかを嬉しそうに読むアルさんがいた。


……なにを読んでいるんだろう。




「アルさん、なにをそんなにニヤニヤして読んでいるんですか?」

「嘘!そんなに顔に出てた?」



アルさんは表情をいつもどおりに戻して言った。




「はい。幸せの絶頂みたいな顔をしていました」

「まあ、それは事実だから否定はしないけど。実はね、僕の許嫁から手紙の返信が来たんだ」

「シルヴィ、ですよね」

「あれ、知ってるの?」




目を丸くして言うのがおかしくて、わたしは少しはにかみながら答えた。





「はい。パーティーで会いました」

「……そんなこと一言も書かれていないんだけど」




アルさんはあきらかにふて腐れたようにむっとした。

……シルヴィのことになると表情がころころと変わりやすいようだ。




「この手紙には今度会いに行くっていうことが書かれていてね。何か聞いてない?」

「……そういえば、カイルさんがシルヴィにアルさんが会えていなくて淋しがっているって言っていたような」

「……カイルのやつ」




とかなんとか言っているアルさんだけれど、やはりニヤニヤと顔が緩んでいる。本当は嬉しいんだなっていうのがひしひしと伝わってくる。

……けれど、わたしの胸は晴れなかった。




「なんか、悪寒がするというか……身体が震えるというか……すごく嫌な感じがするんです」

「風邪でもひいたんじゃない?」

「……そう、かもしれませんね」





だめだ、幸せの絶頂にいる今のアルさんには何を言っても無駄だ。

……けれど、これから戦争が起こるという現実に目を背けたい気持ちはわからなくもない。


わたしだって戦争に良いイメージはないけれど、でももうどうしようもないんだ。

わたしが引き起こしたことだ。責任を取らなければ。

わたしがパーティーであんな態度を取らなければ、それ以前にパーティーに行かなければよかったのかもしれない。


……けれど、この世界で今は生きている。


一住民として、わたしにできることはなんでもやりたいと思っていた。庭師だって、何か役に立ちたいと思って引き受けた。


その想いは今も変わらない。


ダンスをするかもしれないからパーティーには出ない。そんな決断をしていたら、良かったのかもしれない。

でももしかしたら、行かなかったことで向こうにいる紫姫がケルビンを攻めよ、と助言して、いずれは不意討ちでこの国は滅ぼされてしまうことになっていたかもしれない。


それなら、言い方は悪いけど、わたしが行ったことで宣戦布告という約束をしてから戦争をすることになった。


それなら良かったではないか。


前ケヴィさんに言ったように、やって後悔したんだから。

やらないで後悔はしたくないって言ったじゃないか。やった後の後悔は結果なんだから。

例え望んでいた結果でなくとも、妄想による結果ではない。ああしていれば……こうしていれば……という現実味のない妄想とは違う。


わたしの出した結果は、戦争を真っ向勝負にすることができたということ。


それが結果であり、現実。




わたしは胸騒ぎをまだ感じつつ、書斎室を後にした。



わたしが向かったのは、厩。

昨日リリーちゃんに場所は教わっておいた。迷子になるのは懲り懲りだから。




やはり朝早いだけあって、薄暗く寒い。

わたしは事前に部屋から持参していたコートを羽織って外に出た。もちろんコートの下はドレスだからスースーとして肌寒い。


……わたしは思わず厩を見つけてクスッと笑ってしまった。

だって、厩の開いた壁から馬たちの白くなった息が漏れ出ているんだもん。まるで蒸気機関車さながらの量。

厩って言っても、城の兵士全員が乗れる頭数の馬が生活しているから、かなり大きい。


シリウスとハリーはいるかなぁ?


わたしは心を上気させて厩の中に入った。



『あ、姫。おはようございます』
「おはよう」
『おはようございます』
「おはよう」
『おはようございます』
「おはよう」
『おはようございます』
「おはよう」


前を通るたびに挨拶をされるから返すのがたいへん。

文字で並べるとゲシュタルト崩壊しそうなおはようの羅列。



『お久しぶりです姫』

『姫様お久しぶりです』

「久しぶり!二人とも!こうやって話すのは初めてだね!」

『はい。まことに光栄です』

『姫様、お寒くありませんか?』

「大丈夫大丈夫!ところで二人って……デキてるの?」




シリウスは雄馬、ハリーは雌馬。

黒と白で色も正反対な二人。

その二人は同じ格子の中にいた。しかも寄り添って。



『恥ずかしながら……』

『いつも一緒でしたので……』



二人とも恥ずかしがった声を出した。

……うーん、こっちもラブラブだなぁ。




『姫様、どうかされたのですか?まだ人間は寝ている人が多い時間です』

『我の主も眠っていることでしょう』

「確かに、変な時間帯だよね。
あのね、胸騒ぎがして起きちゃったの」




馬に相談するのはなんだか不思議な感じだけれど、馬は賢いって言うから思いきって言ってみた。

言葉も他の動物よりも流暢だし、本当に人間と話している感じ。




『胸騒ぎ、ですか?それは粗末にしない方がよろしいと思いますよ?』

『我ら動物にも勘がありますから』

「……そうだよね。ハリーの主にさっき会ったけど、それどころじゃないみたいだから、スルーされちゃったよ」

『まあまあ!我が主ながらなんともお恥ずかしい』

『……なにやら人間から不穏な気を感じるのですが、心当たりはおありですか?』




……さすが感受性の高い動物。鋭いな。




「近々戦争が起こるんだよ。多分ここも戦場になる」

『戦争……それでは我らも我らの主も戦わなければなりませんね』

『それが我らの運命(さだめ)であり、足の役目。主に全身全霊を捧げよう』

「……ありがとう。でも、もしかしたら最悪の事態もありえるんだよ?それでもいいの?」

『それもまた然り。そのために産まれてきた身。そのために生かされています。公私混同させてはならぬ立場ゆえに、こうして分かち合える部分がある』




シリウスがハリーに顔を寄せた。ハリーもうっとりと瞼を閉じる。



同じ苦労を共にしている仲間。だからこそ、繋がる部分に惹かれ会う。

……なんだか羨ましいな。




「ありがとう。話をしていたらなんだか気持ちが軽くなったよ」

『いつでもおいでください。我らは姫を歓迎します』

『胸騒ぎの件、決して粗末にしてはいけませんよ、姫様』

「うん!」




そして馬たちの、さようなら、やら、また来てください、やらの言葉のアーチをくぐって、自分の部屋に戻った。

……案の定、リリーちゃんが仁王立ちで待ち構えていて、勝手に外出しないでください!と説教をされたけれど、なんだかおかしくなってわたしは笑ってしまった。

そんなわたしをリリーちゃんは怪訝そうに見ていたけれど、呆れて説教はやめにした。



だって、戦争がこれから始まってしまうのに、あまりにもリリーちゃんが普通だから思わず笑ってしまったのだ。

……こうやって誰かに説教されるのも、あと僅かかもしれないのだから。


そう思ったらあの人の顔が浮かんで、わたしは苦笑いをした。



大丈夫ですよ。もう、迷いませんから───




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