蒼の光 × 紫の翼【完】
「もう、いい……」
わたしの右手に、ケヴィさんの大きな左手が重ねられた。
ウサギ事件のことを話した後わたしは黙りこんで握り拳をつくり、膝の上に押さえつけて俯いていた。泣くのを我慢するためだ。
その握り拳にケヴィさんが大きな手を重ねたのだ。
「もういい……血が出る」
わたしの手は寒い空気に晒されていたため、ガサガサに荒れていてあかぎれになってしまっていた。
爪をたてて握っていたわけだから、痛々しく見えていたのだろう。
現にもう手のひらの感覚がない。
「おまえはもうひとりで背負わなくていいんだ。俺に話してくれたのは今まで誰かに話したかったからだろ?だが話せないでいた。そのことを思い出すのも嫌だし、労(いたわ)られるのも嫌だったから。違うか?」
わたしは肯定の意味で首を軽く縦に振った。
そう、かわいそうだと慰められるのが嫌だと思ったから。
同情はいらない。同情するなら放っておいて!
「俺は同情するよ。それと共に尊敬もする」
わたしはその言葉にパッと顔を上げ、ケヴィさんの顔を見た。
その顔は慈愛に満ちていた。
「今まで我慢してきたんだろ?しかもひとりで。俺だったら押し潰されて自暴自棄になっていただろう。泣きたければ泣けばいい。今まで堪えて来たんだからもういいだろう」
「でも、ウサギさんたちは泣けませんでした。泣く暇もありませんでした」
わたしはしゃがれた声で言った。今にも泣き出してしまいそうな口に叱咤をするために、また口を固く結ぶ。
「ウサギの分まで生きるんだろ?それならウサギの分も泣けばいい。今までよく頑張ったな、カノン」
その頑張ったな、の言葉でわたしの涙腺は崩壊した。今までそんなことを言ってくれた人はひとりしかいなかった。その人はお母さんなわけだけど……
今まで溜めに溜めていた涙がせきを切ったように溢れ出ては滴り落ちる。
ケヴィさんはわたしの力の抜けた手のひらを開かせると、その長い指と荒れた指を絡ませた。
そして、もう一方の空いている手をわたしの後頭部に回し、自分の広い胸に泣いてぐちゃぐちゃになった顔を押し付ける。
自分のではない手の温もり。こんなにも頼もしい……
自分のではない鼓動。こんなにも温かい……
懐かしさが込み上げて来ては、涙となって流れ出る。
わたしはケヴィさんの服に左手でしがみついてとうとう声を上げて泣き出した。
ケヴィさんはそんなわたしの頭をよしよしと撫で、さらに強くわたしの右手を握った。
どれぐらいそうしていただろうか。
わたしの涙が止まりかけていた頃、ケヴィさんは体勢はこのままで話しかけた。
「いつまでそこにいるつもりだ?おまえら」
わたしの頭の上にはハテナマークがひとつ。
誰かいるんだろうか。
少しして、診察室のドアがガチャッと開かれた音がした。
「あれ、バレてた?」
「バレバレだ」
「……」
アルさんの声と二人分の靴音。多分カイルさんもいるんだろう。
「いや~……お邪魔かなって思って」
「だからって話を全部聞く必要はないだろう。最初から最後まで」
わたしはその言葉で別の意味でまた泣きたくなった。
とても恥ずかしいんですけど!
わたしがこの体勢をどうしようかと静かに悶えていると、そばでうめき声が聞こえてきた。
「頭!」
アルさんが声を出す。
わたしはパッとケヴィさんから離れて頭の元に寄った。
……現状打破できた!
「頭!大丈夫ですか?」
「……むぅ……大丈夫では、ないかのぅ」
「今先生を呼んで来るよ!」
「アルバート君、よせ」
「……うん」
なんで頭はアルさんを止めたんだろう。先生を呼んだ方がいいのに。
「……わしはもう、永くはない」
「そんなこと言うな」
「カイル君。自分の死期は自分でしか感じ取れないのじゃ。他人ではわからないものの方が多い」
「頭……」
カイルさんの表情は険しい。
……二人とも来てくれたんだ。やっぱり見過ごせないんじゃん。
「長い夢を見ておった。産まれたときから今に至るまでのぅ……カノン、大きくなったのぅ……」
「え?」
ちょっと、待って。今聞き逃しちゃいけない言葉を聞いた気がする。
けれど、頭(かしら)の意識は少し遠いところに行ってしまっているようだった。
「おぬしは静かな子供じゃったのう。いつの間にかここにいたでの。今まで忘れておったがのう。ケヴィとカイル君、アルバート君といつも遊んでおった。仲良しじゃったのう」
「頭、何言って……」
ケヴィさんが口を挟むけれど、本人には届いていないようだった。
「じゃが、忽然と姿を現したように、消え方も風のようだったのう。それを境にわしはカノンを忘れておったのじゃな。カノンは元々この世界にいたでの。じゃから言葉が通じるでの。じゃが瞳の色は黒かったがの。不思議じゃのう……」
矢継ぎに話し続ける頭。まるで何かにとり憑かれているように思えて少し怖い。その目は見えない何かを見ているようだった。
「おぬしの指輪はわしがちゃんと持っておる。心配するでない。ちゃんとわしの首にずっとかかっておる。チェーンは何度か変えたが、指輪はぜんぜん錆んかった。預り物を返すでの」
そういうと、震える手で首にあるチェーンを手繰り寄せて首から外し、自分の手のひらに乗せた。
チェーンの先にはきらりと光る指輪が。
指輪には紫色の小さな宝石が装飾されていた。
……これって、もしかして……
みんなも同じことを思ったのか、お互いの目が交差した。
そう、その指輪は偽紫姫が探していた指輪に違いない。頭が肌身離さずずっと持っていたのだ。
そりゃ見つからないわけだし、誰も知らないわけだ。
「おお……これでわしの役目も終わったのぅ……赤ん坊の頃から育てた娘とわかれるのも寂しいのう……」
「頭……」
「寒いのに、小屋の前に毛布一枚にくるまっていたおぬしは震えておった……わしはいてもたってもいられなくなり、迷わずおぬしを小屋へと連れたでの。男として育て、いつかは庭師として共に働きたかったでのう……夢は半分叶ったようなものじゃ……」
だんだんと頭の声が小さくなっていく。黒い瞳もだんだんと影ってきて、瞼が下ろされていく。
「頭!わたしはあなたを忘れません。例え、頭が忘れてしまっても。あなたから救われたこの命、無駄にはしません」
わたしには頭と過ごした記憶はない。けれど、頭がわたしを大切にしていたことは話を聞いて窺えた。
「そう言ってもらえると……わしも……う……れし……で……」
頭の声がだんだんと途絶え、手のひらに乗っていた指輪とチェーンは、布団の上に力なくぽとりと落ちた。
……頭は逝ってしまった。
わたしは止まっていた涙が流れるのを抑えきれなかった。
「……頭。今までありがとう。さようなら」
わたしは指輪をひっつかみ、頭のしわくちゃな手と一緒に握った。
ケヴィさんが涙を拭ってくれているけれど、そんなのお構い無しに涙が溢れてくる。
冷たい頭の手のひら。
……いつの日か、冷たくない、暖かい手のひらを握ったことはあったのだろうか。
ケヴィさんに抱き締めたられながら、ふとそんなことを思った。
……お元気で、頭。わたしの育ての親。
また、どこかでお会いしましょう。