羅刹の刃《Laminas Daemoniorum》
酒童は、そう独り言のように言の葉を漏らした。
『俺は……。
なんでか、人にムッとすることはあってもさ、いざ行動に出そうとすると、ストップしちまうんだよなあ……。
万引き犯を見つけて、明らかに悪いことしてるなってわかっても、通報できない、みたいな』
その言葉には自己嫌悪だったり、自問だったり、己でもわけのわからない疑問の答えを探し求めているようだった。
朱尾にはそれが理解できなかった。
『俺はムッとしたら、やるっすよ。
数人がかりでタカリしてるやつとか、1人じゃなにもできねえくせに、他人と絡んで人を囲む奴とか、そういう奴は一発殴って正す。
そういうのは、すげえ腹が立ちますから』
朱尾は堂々と言ってやった。
人を殴ることに、義侠心添えた言い訳をするつもりはない。
やりたいことをやった。
それを主張しただけだ。
すると酒童は、目尻をふと緩めた。
『……それはそれで、正しいんだと思う』
そう微笑んだ酒童の横顔に、朱尾はどきりとした。
訓練生間でも有名な強面が、嘘のように消え去っていたからである。
『俺は、自分より弱い奴には、なぜか手が上がらねえんだ。
こりゃ、病気かもな?
でも、時折こんな性格で、すこぶる得をしたって思う時もあるんだ』
『―――』
『けど俺は、どう考えても理不尽なこととか人に手をあげられるのも、凄いことなんじゃないかって、思う……。
殴るっていっても、ある程度の限度を超えていなければだけど……』
朱尾が知る当初の酒童は、あまりつかみどころのない男だった。
だが今思えば、彼自身、自分の心中がよく把握できていなかったのではないかと思える。
訓練生は、半数以上が思春期の真っ只中の年頃だ。
やんちゃしたい年頃になって、道徳だの正義だのという綺麗ごと紛いの教訓など、吐き捨てたくなる時期だろうに、酒童は違っていた。
生易しい理想を追い求めていた。
馬鹿らしくも思えたが、そんな酒童に、朱尾は釘付けになった。
ああ、この人、実は優しいのか。
半ば不良に絡む覚悟で話しかけたが、彼と別れたあとから、ずっと、不思議な感覚が頭から離れなかったのを、朱尾はずっと覚えていた。