羅刹の刃《Laminas Daemoniorum》
商店街に入って少し歩くと、惣菜屋の老婆がにこやかに店から出てきた。
「おやあ、嶺くん。おかえり」
ここらの人々は、血縁関係のない人にも「おかえり」「いってらっしゃい」と声を掛ける。
酒童は生気の失せた顔を無理に笑顔にし、
「こんにちは」
と目尻を垂れた。
「今日はお休みやなかったけ?
どっか遊びにでかけたんかね」
「いや、暇だから散歩してただけ」
「あんた散歩好きやねえ」
何本か欠けた歯を晒して、老婆が高らかに笑い声をあげる。
いつものことながら、惣菜屋の店内から揚げ物の香ばしい匂いが漂ってくる。
「ああ。散歩……好きなんだ」
酒童は声を絞り出したが、小鳥のさえずりよりも小さな音量だった。
「あのさ、婆ちゃん。
まだ“ゴロ芋”って、あまってる?」
突然降って湧いたように、酒童は言った。
ゴロ芋とは、ミンチ1割ピーマン1割、馬鈴薯(ばれいしょ)8割のコロッケで、この惣菜屋の商品のひとつである。
潰された馬鈴薯に混じって、潰しきれていない、蒸かした馬鈴薯の塊がゴロゴロと入っているのが特徴で、男の拳ほどもあるそれは、帰り道の空きっ腹にはちょうどいいのだ。
酒童は老婆と足並みを揃えて、惣菜屋に歩み寄った。
「今日は学生の子たちが来んかったでね。
いつもよりたくさんあまっとったのよ」
「ふうん」
酒童は何を思ったわけでもなく呟いた。
胃を締め付けるような緊張感と、部屋に帰ることへの恐怖から一時的に逃れるように、酒童は、
「じゃあ、ゴロ芋ひとつ買おうかな……」
と、いいかけた。
が。
「昨日はねえ、学生の子たちがたくさん買ってったあとに、ひーちゃんが来たんやて。
仕事帰りで」
陽頼の呼び名を聞くや、酒童が大きく肩を跳ねあげた。
動きが硬直して、挙動不審になる。
「それでね、『お婆ちゃん、ゴロ芋あといくつある?』って聞いてきてね。
あと6つあるよー、って言ったら、ぜんぶ買ってってまったのよ。
昔はひーちゃんも嶺くんも、ようここで買い食いしとったけど。
いまも全然変わらんねえ」
夕陽が老婆のほっこりとした温和な容貌を照らす。
我が子の好き嫌いについて話すような語調で、老婆は銀歯を光らせて言った。