羅刹の刃《Laminas Daemoniorum》





1



 酒童は拠点の前で立ちすくんでいた。

 大豆がぎっしりと詰められた巾着を手にして、だ。


『鬼は大豆が苦手でしょ?
これで大丈夫っ』


 なにを根拠にしているのか、とにかく陽頼は自信たっぷりに言ってのけ、酒童に大豆巾着を持たせた。

鬼の類には桃などが有効と聞いたことがあるが、そちらのほうがまだ有効的である。

 とはいえ、アパートに置いてくることもできなかったので、酒童は気休めで大豆巾着を持参した。


 鬼にはならない。
 鬼の血に支配されたりは、しない。

 誰も、傷つけない。


 大志をもって臨んだものの、やはり酒童はどこか不安なようで、拠点のドアを開くことができない。


(どうするかな……)


 酒童は思い悩む。

 あたりの陽は沈み始め、次第に化け物どもが支配する世界へと変わってゆく。

 その時。


「酒童くん?」


 酒童は背後から呼ばれて、ふと振り返る。

 とても耳に馴染んだ、柔らかな男の声だった。

 振り返った先にいたのは、羅刹の装束を身に纏った天野田であった。

天野田は珍しくかっと瞳孔を見開き、たいそう驚いた表情をしていた。


「酒童くん」


 天野田は、すこし視線を下にやって駆け寄るや、酒童の切れた装束の袖を手にとる。


「これは、人狼にやられたのかい?」

「ああ……」


 酒童は重ぐるしく答える。

 人狼に腕をもぎ取られた時の痛みを思い出したのもある。

しかし、それよりも気にかかることがあった。

 あの時、朱尾、榊、桃、そして茨もいた。

 茨は今は天野田の班に所属している。

 もし茨が鬼になった時の酒童を目撃したとすれば、黙秘令でも出ていない限り、その情報は天野田に伝わっているだろう。

 そうだとしたら、鬼としての自分を、彼らは受け入れてくれるだろうか?

 酒童は弱った瞳で天野田を上目遣いに見やる。


「……なに?
女みたいな眼なんかして。
男の君がやると気持ち悪いなあ」


 天野田は相変わらず、ひどい毒舌である。

 酒童は思わず苦笑した。


「そりゃあ、こんな顔じゃあな……」


 酒童は髪を切ったために、久しく空気に晒されたうなじを掻く。


「あのさ、天野田」


 酒童は、さきほどからずっと、まともに酒童の顔をみようとしない天野田に声をかけた。






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