羅刹の刃《Laminas Daemoniorum》
これが班長の言う“耐え難い苦痛”というものか。
酒童は今なら、鬼の力に流された方がマシだと考えた人の気持ちがわかる気がした。
こんなに苦しいのなら、いっそ楽にして欲しいと思うのも理解出来る。
どういうときに、人の心は鬼に支配されるのか。
この瞬間に悟ることができた。
少しでもこの苦痛から逃れようと考えれば、そう考えるほど鬼の血は体を乗っ取ろうと入り込んでくる。
だが、この苦痛はまるで地獄である。
耐えろという方がどうかしている。
が、酒童は踏みとどまった。
黒髪を真ん中で分けた、あの陽だまりのような少女の姿が頭に浮かんできたのだ。
酒童は唇を噛み締めた。
それが唇の皮を破り、そこから血が垂れようとも、酒童は決して鬼の血に身をゆだねようとはしなかった。
(俺は人間だ)
何度も何度も、酒童は悲鳴を上げる体に言い聞かせる。
理性を失えば、実物の鬼さえ忘れた“古の本能”が蘇る。
それだけは、この命に代えても避けなくてはならない。
「酒童くん‼」
天野田が珍しく大声を張り上げた。
いつも飄々として冷静沈着だった男でも、さすがに慌てたらしい。
(天野田……)
酒童は、次第に己の意識が遠のいて行くのを感じながら、自分に駆け寄る天野田に一瞥をくれた。
だめだ、眠ったらだめだ。
そう命じているのに、体は言うことを聞かない。
絶望的な状況になりそうな気がした。
……刹那。
「オン・アビラ・ウンケン・ソワカ!」
天野田が唱えた真言が耳に飛び込んでくる。
間髪いれず、酒童の背筋に焼け付く痛みが襲いかかってきたのだった。
「ぎゃあっ」
熱い!
熱い熱い‼
最初は何が起こったのか分からず、酒童は、ただ情けない悲鳴を上げるだけだった。
「天野田さん!」
茨が叫ぶ。
酒童は焦げ臭い臭いと、あまりの熱さに身をよじった。
「あっ、つう……!」
まるで熱したフライパンを押し付けられたようである。
酒童は咄嗟に背中に手をやり、そこに貼られていた呪符を剥がし取る。
熱さの元はこれだったらしい。
「はあっ、はあっ、ふう……」
酒童は暫く荒い呼吸を繰り返す。
背中を焼き焦がさんばかりだった熱さは、すっかりなくなっている。
ふと気が付けば、腕の色は元の黒色に戻り、あの発作にも似た痛みもない。
鬼の血に支配されるときのような、気持ち悪さもなかった。
そのかわり、体は汗でぐっしょりと濡れている。