ひとときの恋
客間の前で一旦立ち止まると、はぁっと深く深呼吸を繰り返す。
何せ姐さんと合うのは廓を出て以来だからね。ざっと半年ぶりくらいかしら。
少し緊張する心を落ち着かせて、障子に手をかけ静かに開いた。
客間の上座近くに敷かれた座布団に、藍色の着物を纏った後ろ姿を捉える。
真っ黒で綺麗な束ね髪。その後ろ姿に静かに近付くと「明里姐さん?」と声をかけた。
声をかけた相手は手に湯呑みを持ったままくるりと振り向いた。
「おや、元気そうやねぇ鈴」
明里姐さんはニッコリと笑んでそう返事を返してくれる。あたしはそんな姐さんにいきおいよく抱き着く。
「あらあらどないしたんやろねぇこの子は」
「姐さんこそこんなとこで何やってんのさ。店は?」
「今日はおやすみ。心配せんでええ。ちゃんとおかあさんにはゆうて来たさかい」
「ならいいけど……」
うちの廓はおかあさん(店の主人だね)に許しを得ずに店を出たら逃げたと見られ、すぐ追いかけが来る。
あたしが土方に会いたくて無断で外に出た時もすぐ迎えが寄越された。
女郎のお迎えなんて、母親が子を迎えにくる様なおうちに帰っておいでなんて生易しいもんじゃない。強制的に連れてかれるお迎えだ。
でも姐さんは大丈夫だって言ってるし……ま、大丈夫だよね。
「それにしても本当に久しぶりやねぇお鈴。おかあさんにあんたが土方歳三に水揚げされたって聞いた時は心の臓が口から出るかと思うたわ」
頬に手をあて、はぁ~と溜め息をつく姐さんにあたしはごめんごめんと言葉を返す。
「姐さんの"あて(私)"になぁんも言わんと店出てくし。ほんまあんたは人心配させるんが好きな子ぉやね」
そうだった。そういやあたし、姐さんどころか廓の誰にも挨拶せずにここに引き取られたんだっけ。
ある日あたしは土方に会いたい一心で廓を抜け出た。町中で沖田と祭に来ていた奴を見かけて、好奇心から後をつけたんだけど……。
最初はまさか"新撰組の土方歳三"だなんて思わなかったもんだから、新撰組屯所に入っていく二人を見た時はそりゃたまげたもんさ。
土方に会いたいけど屯所に入るのは少し怖いし……入り口でもんもんと考えていたらいつの間にか女狩に見つかっちまったんだよね。
店に連れて帰られるってとこを助けてくれたのが土方と沖田だったんだ。そのままあれよあれよと屯所に居着き今に至る。
「でもあんたのその元気な顔じゃ、ここは住みいいみたいやね」
「ああ、皆にはよくしてもらってるよ」
あたしの言葉に姐さんは安堵の溜め息をついてやわらかく微笑む。
あの苦堺から出れる。それがあたしは嬉しくて気にもとめてなかったけど、ちゃんとこうやって心配してくれる人がいたんだ。
こんなあたしにも━━
そう思うと何か胸のあたりがむずがゆて、恥ずかしくなって来てあたしは姐さんの胸に顔を埋めクスクスと笑い声をもらした。
姐さんはそんなあたしの頭を優しく撫でてくれた。