ひとときの恋
でもだからと言ってあいつがハジメちゃんを怖がるなんてないと思うんだけどねぇ。
う~ん、と首を傾げていると、クイクイッと袖口を引っ張られる。ん? と視線を流せば先程のあばら家に入って行ったお瀬戸が、欠けた茶碗を右手に抱えて立っていた。
あたしと視線が合うと、その茶碗を差し出してくる。中には大根の味噌汁がよそわれていて、ほうほうと白い湯気と一緒に味噌のいい香りが漂ってきた。
「味噌汁?」
「私が作ったの」
「あんたが?」
ありがとうと受けとるとお瀬戸はもう一度家に入って、今度は小さな握り飯を二つ掌にのせて出てくる。そしてあたしと山崎に一つずつ手渡してくる。
「おおきに。今日はなんぼなん?」
「二人分で二文」
「二文な」
山崎が懐をあさって小銭をとりだし、お瀬戸へ渡す。彼女はニコッと愛らしい笑みを見せると「おおきに」と頭を下げた。
「お茶碗はいつものとこにおいててね。今おっかさんが起きてるから私中におる」
「わかった。鈴こっちに座って食おう」
「うん」
あばら家のすぐ隣に並べられた二つの大きな岩に腰掛けると、頂きますと手を合わせた。まずは味噌汁、とお椀を口につけて汁を口に含む。
「あら、なかなか美味しいじむ? 瀬戸の味噌汁は俺も大好きやねん」
「いくつなんだいあの子。あんたより年下なんだろ?」
握り飯に噛みつきながら問えば、山崎はん~と視線を上に向けながら
「確か……今度八つになるゆうてたで」
「八つ!? あらまぁ、若いのにしっかりしてるじゃないのさ」
うちのバカ隊士どもに爪の垢でも飲ませたいねぇ、とケラケラ笑っていると山崎がどこか切な気に「瀬戸な」と口を開く。
「おっかさんが病気やねん。おとんは最初からおらんで、おっかさんと二人暮らしやってんねんて。元々おっかさんはここの近くの廓で働いとった女郎やったらしいねんけど、客に病気移されてからはそこのあばら家に捨てられるように夜鷹にされたってゆうとったわ」
難儀な話やわ。と哀れみを含んだ溜め息をつきお瀬戸が握ったのであろう小さな握り飯にパクリと噛みついた。
「女郎の子は女郎になるのが決まってんねやろ? 瀬戸はほんまはおっかさんと離されて廓におったらしいんやけど、おっかさんの傍におりたいって廓から逃げて来たんや」
「逃げて来た!? そんなのよく今まで無事にいれたね。いくら女郎の子だって言っても逃げ出したとあっちゃ男衆が黙ってないだろうに」
女郎が廓から外に出掛ける時は女将さんや楼主の許可がいる。許しもえず一歩でも廓の外へ出れば脱走と見なされ、男衆が追い掛けてくる。それに捕まれば容赦ない折檻が待っている。
あたしはそれで命を落とした仲間を何人も知っている。
「それは大丈夫やで」
「何でさ」
「追っ掛けてきた奴は俺が消したからや」
「え……?」
消した? って。それって……。
「殺した……って事かい? 何もそこまでしなくたって」
「俺かて別に好きで殺ったわけちゃうねんで。ただあいつら瀬戸を庇った俺に刀向けよった。竹刀と違うて真剣はチャンバラごっこちゃうねん。向けた方は命のやり取りをする覚悟がある。やから向けられた方も覚悟しなあかんって副長ゆうてた。今回は俺があっちより強かっただけ。ただそれだけや。あ、でもこの事は他の奴らには内緒な。俺怒られてまうし」
クスクスと笑いながら恐ろしいことを口にする目の前の子供に、あたしは呆気にとられながら半ば諦めの言葉も内心に浮かぶ。
まぁ、育った場所が場所だから仕方ないのかも知れない。
山崎は今年十二になる子供だけど、こう見えて新撰組内で監察方……所謂隠密の任についた立派な隊士なんだ。新撰組に有利な情報収集をする為なら単独で敵方に侵入するなんてのも朝飯前にやってしまう。それが例え暗殺の任務だとしても……。
「そりゃ……あんたのお陰でお瀬戸ちゃんは助かったかもしれないけど。けどそれでもしあんたに何かあったらって考えただけであたしゃ気が気じゃないわよ」
そっと黒猫の様な綺麗な髪をひとふさつまみ上げるとつんつんと引っ張ってやる。
「何で? 俺こーみえても結構強いねんで。簡単に死んだりしぃひんもん」
「あんたが強いってのは知ってるさ。それでもだよ。あんたはあたしの大事な弟分なんだからね」
姉が弟を心配するのは当たり前だろ? とデコピンを額にかましてやりながら言えば、何故か山崎がいじけたような顔を見せる。むぅっと唇を尖らせぷいっとそっぽを向いてしまう。
「俺、鈴の弟やないもん」
「え? あぁ、そう言う意味じゃなくて弟みたいなもんだって……」
言い切る前に山崎は残りの握り飯を口の中に押し込むかたちで食べてしまうと、サッと立ち上がってしまう。そしてお椀をあばら家の前に置かれたタライの中に突っ込むとさっさと帰り道の方へ歩いて行ってしまった。
「ちょっ、ちょっと山崎!?」
慌ててあたしも残りの味噌汁を食べてしまうと、同じ様にお椀をタライの中に入れて山崎の後を追う。
「山崎!」
バタバタと駆け足で追い掛けて、もう少しで追い付く、その瞬間。
「先帰っとるわ」
「え……え、えっ、ちょっ……」
そう振り向かずに言われて、そのまま山崎は民家の屋根へと飛び上がり走って行ってしまった。勿論あたしにそんな芸当出来るわけがなく、
残されたあたしは……
「な、な、な……なんだってんだよバカーッ」
と、叫ぶしかできなかった━━━━。
う~ん、と首を傾げていると、クイクイッと袖口を引っ張られる。ん? と視線を流せば先程のあばら家に入って行ったお瀬戸が、欠けた茶碗を右手に抱えて立っていた。
あたしと視線が合うと、その茶碗を差し出してくる。中には大根の味噌汁がよそわれていて、ほうほうと白い湯気と一緒に味噌のいい香りが漂ってきた。
「味噌汁?」
「私が作ったの」
「あんたが?」
ありがとうと受けとるとお瀬戸はもう一度家に入って、今度は小さな握り飯を二つ掌にのせて出てくる。そしてあたしと山崎に一つずつ手渡してくる。
「おおきに。今日はなんぼなん?」
「二人分で二文」
「二文な」
山崎が懐をあさって小銭をとりだし、お瀬戸へ渡す。彼女はニコッと愛らしい笑みを見せると「おおきに」と頭を下げた。
「お茶碗はいつものとこにおいててね。今おっかさんが起きてるから私中におる」
「わかった。鈴こっちに座って食おう」
「うん」
あばら家のすぐ隣に並べられた二つの大きな岩に腰掛けると、頂きますと手を合わせた。まずは味噌汁、とお椀を口につけて汁を口に含む。
「あら、なかなか美味しいじむ? 瀬戸の味噌汁は俺も大好きやねん」
「いくつなんだいあの子。あんたより年下なんだろ?」
握り飯に噛みつきながら問えば、山崎はん~と視線を上に向けながら
「確か……今度八つになるゆうてたで」
「八つ!? あらまぁ、若いのにしっかりしてるじゃないのさ」
うちのバカ隊士どもに爪の垢でも飲ませたいねぇ、とケラケラ笑っていると山崎がどこか切な気に「瀬戸な」と口を開く。
「おっかさんが病気やねん。おとんは最初からおらんで、おっかさんと二人暮らしやってんねんて。元々おっかさんはここの近くの廓で働いとった女郎やったらしいねんけど、客に病気移されてからはそこのあばら家に捨てられるように夜鷹にされたってゆうとったわ」
難儀な話やわ。と哀れみを含んだ溜め息をつきお瀬戸が握ったのであろう小さな握り飯にパクリと噛みついた。
「女郎の子は女郎になるのが決まってんねやろ? 瀬戸はほんまはおっかさんと離されて廓におったらしいんやけど、おっかさんの傍におりたいって廓から逃げて来たんや」
「逃げて来た!? そんなのよく今まで無事にいれたね。いくら女郎の子だって言っても逃げ出したとあっちゃ男衆が黙ってないだろうに」
女郎が廓から外に出掛ける時は女将さんや楼主の許可がいる。許しもえず一歩でも廓の外へ出れば脱走と見なされ、男衆が追い掛けてくる。それに捕まれば容赦ない折檻が待っている。
あたしはそれで命を落とした仲間を何人も知っている。
「それは大丈夫やで」
「何でさ」
「追っ掛けてきた奴は俺が消したからや」
「え……?」
消した? って。それって……。
「殺した……って事かい? 何もそこまでしなくたって」
「俺かて別に好きで殺ったわけちゃうねんで。ただあいつら瀬戸を庇った俺に刀向けよった。竹刀と違うて真剣はチャンバラごっこちゃうねん。向けた方は命のやり取りをする覚悟がある。やから向けられた方も覚悟しなあかんって副長ゆうてた。今回は俺があっちより強かっただけ。ただそれだけや。あ、でもこの事は他の奴らには内緒な。俺怒られてまうし」
クスクスと笑いながら恐ろしいことを口にする目の前の子供に、あたしは呆気にとられながら半ば諦めの言葉も内心に浮かぶ。
まぁ、育った場所が場所だから仕方ないのかも知れない。
山崎は今年十二になる子供だけど、こう見えて新撰組内で監察方……所謂隠密の任についた立派な隊士なんだ。新撰組に有利な情報収集をする為なら単独で敵方に侵入するなんてのも朝飯前にやってしまう。それが例え暗殺の任務だとしても……。
「そりゃ……あんたのお陰でお瀬戸ちゃんは助かったかもしれないけど。けどそれでもしあんたに何かあったらって考えただけであたしゃ気が気じゃないわよ」
そっと黒猫の様な綺麗な髪をひとふさつまみ上げるとつんつんと引っ張ってやる。
「何で? 俺こーみえても結構強いねんで。簡単に死んだりしぃひんもん」
「あんたが強いってのは知ってるさ。それでもだよ。あんたはあたしの大事な弟分なんだからね」
姉が弟を心配するのは当たり前だろ? とデコピンを額にかましてやりながら言えば、何故か山崎がいじけたような顔を見せる。むぅっと唇を尖らせぷいっとそっぽを向いてしまう。
「俺、鈴の弟やないもん」
「え? あぁ、そう言う意味じゃなくて弟みたいなもんだって……」
言い切る前に山崎は残りの握り飯を口の中に押し込むかたちで食べてしまうと、サッと立ち上がってしまう。そしてお椀をあばら家の前に置かれたタライの中に突っ込むとさっさと帰り道の方へ歩いて行ってしまった。
「ちょっ、ちょっと山崎!?」
慌ててあたしも残りの味噌汁を食べてしまうと、同じ様にお椀をタライの中に入れて山崎の後を追う。
「山崎!」
バタバタと駆け足で追い掛けて、もう少しで追い付く、その瞬間。
「先帰っとるわ」
「え……え、えっ、ちょっ……」
そう振り向かずに言われて、そのまま山崎は民家の屋根へと飛び上がり走って行ってしまった。勿論あたしにそんな芸当出来るわけがなく、
残されたあたしは……
「な、な、な……なんだってんだよバカーッ」
と、叫ぶしかできなかった━━━━。