狡猾な王子様
不意に英二さんがチラリと奥のドアに視線を遣ったあと、「お風呂に入っておいで」と微笑んだ。


途端に体を強張らせると、彼が困ったように苦笑した。


「そんなに緊張しないで。今日はなにもしないから」


「え?」


「初めてのお泊まりなのに、予定外だったからさ。まだ心の準備ができてないでしょ?だから、今日はなにもしないよ」


優しく笑みを浮かべられて、戸惑っていた私の心を悟ってくれているのだと気づく。


たしかに、今日泊まらせてもらうことになったのは、完全に予定外だった。


そのきっかけは、うちで夕食を一緒に食べることになって、みんなで和気藹々と食卓を囲んでいた時のこと。


話が弾んで笑いが絶えない中、ふと英二さんの明日の仕事の話題になり、彼が『団体客の予約が入っていて朝が早い』と答えると、母が私に『家のことはいいから手伝いに行ってあげたら?』なんて言い出したのだ。


私は足手纏いになると感じて戸惑い、英二さんは遠慮するかのように『家の仕事があるのにそんなわけにはいきませんよ』と慌てていたのに……。


そんな当人たちを見事なまでに差し置いて、そのうち誰からともなく賛成の意見が上がり始めたのだ。

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