空気はこんなことを考えている
キマイラ
キマイラがおもしろい!キマイラがおもしろい!キマイラがおもしろいのだぁっ!
夢枕獏の名作、「キマイラ」シリーズを、図書館で借りて、一気に読んだ。全八巻を二日で読破しちまったのですよ。いやあ、久しぶりに物語に溺れちまった。
この「キマイラ」シリーズは、二十年以上も続いている、夢枕獏作品の中でも最も長い小説だ。 (最近、角川文庫から復刻版が出ました)
夢枕獏作品は、とにかくキャラクター描写がもう、とんでもなく素晴らしい。正義役も、悪役も、濃い癖があり、みんな一本筋が通っているのだ。陰陽師しかり、大学の先輩に借りた荒野に獣慟哭すしかり、飢狼伝しかり、大帝の剣しかり。両腕両足を振り回しながら、「かっこええっ!!」と叫びたくなるような、キャラがばんばんばんばん出てくるのだ。
ああ、感動した。ぼくは感動すると元気になる。現実の辛いあれこれに対して、「よっしゃ、かかってこいやっ!」と挑む勇気を持てるようになる。
だから、ぼくは物語が大好きだ。漫画が好きだ。ゲームが好きだ。映画が好きだ。絵本が好きだ。しかし、一番好きなのは、やっぱり小説なのだ。
例えば、映画はいろんな魅力の集合体である。映像の魅力、音楽の魅力、役者の人間的魅力、そういったものの一部として、物語の魅力があるわけだ。しかし、小説というものは、ほぼ百%、物語の魅力で勝負している。装丁や挿絵の魅力も、やや含まれているだろうが、ほとんどが物語の魅力である。物語が大好きなぼくにとって、その形態がもう、たまらないのだ。
よっしゃ、書くぞ。小説を書くぞ。ぼくはいま、「付喪狩り」というかなりぶっ飛んだ物語を一人で勝手に書いている。自信作である。しかし、なかなか書き進められなかった。それがなぜなのか、「キマイラ」がそれを教えてくれた。
ぼくは上手く書こうとしていた。しかし、なかなか上手く書けず、悶々としていた。その「上手く書こう」という思いが間違いだったのだ。なまじ野いちごでほめられた経験が、ぼくの中にくだらないプライドを築いちまったみたいだ。
上手く書こうだと?クソガキが何を生意気なことを考えているのだ!
そんな小細工じみた考えは捨てちまえ。考えるな。いいから書け。脳内に沸騰している物語をとにかく思い切りぶちまけろ。文法が変でもいい。日本語が間違えていてもいい。リアリティなんざなくてもいい。誤字があってもいい。そんなのは、書き終えたあと、いくらでも直せる。
書いてひとに見せろ。そしてボロクソに言われろ。恥をかけ。恥をかくことで、こんちくしょうとくやしがり、成長しようともがくことでしか前に進めないのだ。てめえはそうして、少しずつ小説の技術を身につけてきたんだろ。
生きるうえでもそうだ。あれこれ考えてても何も変わらない。実際にぶつかり、失敗し、苦しみ、悶えたから、体験したから、いまのおまえがあるんだろ。
下手に書いてしまうことを恐れるな。格好つけてんじゃねえ。
よし書くぞ。とにかく書くぞぉっ!
読後、なんか興奮するぼくであった。