DECIMATION~選別の贄~
生活は何も変わらない。
現状は代わってないのに、法律上の定義一つ意識しただけで世界の全てが変わってしまったかのように思えた。
「おはよう」
菜月はいつもより早くに目が醒めて居間へ向かった。
そこには朝食を用意する想次郎。
「おはよう菜月」
「え、叔母さん?」
そして叔母の姿があった。
叔母は新聞を広げながらいつもの席に座ってお気に入りの茶器で茶をすすっている。
菜月はその不自然な風景に足が止まってしまった。
そんな様子を察して想次郎が声をかける。
「顔洗っておいで、皆でご飯にしよ?」
その時ようやく菜月は気づく。
キッチンの上の咲く、母親と父親の遺影が飾られた横に一樹の写真が増えていたことに。
菜月は弱い声が漏れそうになって咄嗟に口をふさいだ。
その空いた方の手だけではこぼれ落ちていく涙は拭いきれなくて、菜月は急いで洗面台にかける。
目を真っ赤にした自分に出迎えられて、菜月は俯いて泣いた。
「一兄、一兄まで私たちを置いて行かないでよ」
洗面台に上半身を預けて菜月はかがみこんで、声をあげて泣く。
白い洗面台に透明な滴が、一粒、そこへもう一粒が混ざって線になって流れていく。
その単調な線が目の前の全ての様に、菜月の頭は真っ白になっていた。
その時まだ菜月は幼かったし、当たり前すぎて考えることすら放棄していた。
ずっとそばにいると思っていた家族は一人また一人と減っていく。
その悲しみは何度目になっても心をビリビリに引き裂いて、身体も沈み混ませる。
「みんな……みんな私の前から居なくなる、みんな……」
目の前に小さな誇りのような、色んな色の光が無数に舞った。
それと同時に両側のこめかみに激痛が走ると、全身から力が抜けていく。
へたりこむと今度は動機が起こり、菜月は震える手で自分の胸を押さえた。
早い鼓動と早い呼吸が全身の筋肉を強張らせていく。
「あっ……あ、いや。
いや、想兄助けて」
ついには座ることができなくなって菜月は脱衣所の床に寝転がる。
その時、灰色の記憶の中で父親が目の前で首を吊っていた。
父親の書斎の扉のノブに白いヒモがかけられ、それに首を通し足を投げ出して寝転がる様に首を締め付けていた。
最愛の父親を助けようとして伸ばした右手。
その瞬間、菜月は意識を取り戻した。
「……あっ、あれ?」
寒気がして自分の身体を意識して、そこでようやく自分が冷や汗で全身汗だくになっていることに気がついた。
頭を支えて、菜月の身体を起こし、心配そうに抱えていた人の姿に菜月は混乱する。
「叔母さん……なんで?」
叔母は菜月が座れるように上半身をゆっくりと起こしてやる。
「顔を洗うだけで何分かかるのかと思ってね。それだけだよ」
そう少し不機嫌そうに言うと叔母は支えていた手を離し、居間へと戻っていった。
「パパ……
あの時、私の後ろ……誰かいた?」
菜月は父親の自殺の現場にいた。
下校した時に父親の臨終した姿を見てしまいショックから気を失っていたのだと警察は判断した。
その時の強いストレスによって菜月は8歳までの記憶を閉ざしてしまっている。
「菜月、大丈夫か?」
優しい声に菜月は振り返る。
「お前なんでそんな汗かいて、まず着替えな。な?」
「うん、そうするよ」
菜月は居間を抜けて自分の部屋に戻り汗ばんだパジャマを着替えた。