DECIMATION~選別の贄~
豪雨吹き荒れる八重ヶ島。
乃恵瑠は借りている自宅には帰らずに、小さな診療所に心もとない灯りをつけて今日の患者のカルテを整理していた。
「止まないな……何も起こらなければ良いんだけど」
乃恵瑠はどこかで自分は他人とは(一般的な人間とは)違う感性を持って生きていることを自覚していた。
この世界は平和そうに見えて、天災、人災、疫病、事故、様々な危険が隣で笑っている。
心休まることがあるとすればそれは思考の停止、もしくは生命維持装置としての身体の停止の二択であると考えていた。
「これだけの雨量だ百舌鳥川の氾濫は避けられないな。
平さんの家に繋がる山道も土砂崩れの恐れがあるが、大きく迂回するルートは整備されているから平気だろう」
この島に医者は1人だけ。
病気は勿論のこと事故であってもかけつけなければならない。
「……こんな夜にエンジン音?」
雨粒の音の隅っこに車のエンジン音を聞いて乃恵瑠は急いでカルテをしまう。
そして雨戸を少しだけ開いて外の様子を伺う。
真っ黒な闇が続き、雨のブラインドで先は見えない。
「…………あれは」
カッと軒先を光が駆け抜けて、黒塗りの車が敷地内に入ってきて停車した。
運転席の後部座席が真っ先に開いて、中から出てきた男は一目散に傘を出して反対側の後部座席の扉を開く。
ゆったりと姿を現したのはケースを大事そうにかかえた澤村であった。
「送迎ご苦労。
帰りは連絡する、それまで場所を移して待機せよ」
「かしこまりました」
車はバックで旋回してまた闇の中へと消えていった。
バックライトが視界から消えると、車から降りた男たちが診療所へと近付いてきた。
乃恵瑠はすぐに雨戸を閉める。
そしてある場所の鍵を閉めて、白衣の裏の胸ポケットに入れた。
玄関が開く。
普段診療所が空いている時には田中がいるのでベルはついていない。
緊急時には誰もが駆け込めるように鍵もかけていない。
しかし緊急時でないのにノックもせずに入ってくる客にいい気持ちはしない。
乃恵瑠は大きく息を一つ吐いて、自分の椅子に腰かけた。
ミシミシと床が軋む。
ゆっくりと現れた男たちは乃恵瑠を見て悪びれもなく言う。
「お出迎えはなしかな?乃恵瑠先生」
「今日お見えになると知っていれば玄関までお迎えにあがりましたが、ここまでご足労頂き恐縮です澤村先生」
乃恵瑠の敵意を自覚しながらも澤村は愉快そうに笑う。
乃恵瑠は澤村の後ろにいた人物を見て言う。
「そちらは?新しい秘書の方をお雇いになられたのですか?」
またしてもずぶ濡れになっている山根。
申し訳なさそうに乃恵瑠に一礼した。
「山根は秘書ではない。我々のクライエントですよ」
乃恵瑠はその言葉にあからさまに顔をしかめた。
「なるほど。少しお待ちいただけますか、タオルを取って参ります」
そう言って乃恵瑠は席を立ち、診察室の奥にある自分の居住スペースの箪笥からタオルを二枚取り出した。
真っ白なシンプルなタオル。
乃恵瑠は診察室に戻るとタオルを澤村と山根に一枚ずつ渡して、また元の椅子に腰かけた。
「これはこれはお気遣いを」
「あ、ありがとうございます……」