あきらめられない夢に
「それは凄く残念だね。

去年の春公演はね、本当に凄かったんだから。

私が見た演劇のなかでは間違いなく一番だった。

つぐみさんのカンザキシホリ役が、もう女の私だけど惚れちゃった」


興奮した上越の身振り手振りが大きすぎて、何度も当たりそうになるところを辛うじて避ける。

そのことに一生懸命になってしまい、僕が観た一つ前の公演である春公演の内容が全くと言っていいほど聞き取れない。

それを見てつぐみさんは笑っているが、避けながら上越を落ち着かせている僕は笑い返せないでいた。


「分かったから、とにかく落ち着けよ。

肝心の去年の春公演がどういう内容だったか、全然聞き取れないだろ」


そんな言葉など耳に届かないのか、上越の興奮は変わらぬままだった。



困り果てていると、つぐみさんが上越の手を取り、ゆっくりとテーブルの上へと置いた。


「まくりちゃん、落ち着いて」


まるで魔法の呪文でも掛けたかのように、闘牛のようだった上越が静かになった。



感心してつぐみさんを見ると、先ほどまでの表情がほんの僅かだが曇ったような気がした。


「どうかしました?」


ほんの僅かかもしれない。



それでも、その僅かは何か大きいことのように僕は思えた。



不思議そうな顔をしてこちらを見ている上越に対し、相変わらず落ち着いた様子を保っているつぐみさんは小さく笑った。
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