あきらめられない夢に
僕が思い出しているのを余所に、彼女は激しく自分の髪の毛をタオルで拭き出した。

崩さないように気を配っていたポニーテールも髪留めを取り、あっさりと崩してしまった。


「そう、俺のためだから。

どうだった?俺の演技」


「えっ」


一瞬、我が耳を疑いたくなるほどの言葉。

それが僕の耳に飛び込んできた。


「えっ、じゃねえよ。今から劇団の人と会うんだろ。

ちょっと張り切って、前もって練習しておこうと思ったんだよ」


先ほどの寂しい笑顔とは違い、僕が知る彼女のいつもの笑顔に戻った。



彼女は意外なまでに今回の話に積極的で、更に予想以上の演技力の持ち主だったようだ。

たった今、まさにあの役に彼女がぴったりと当てはまった瞬間だった。


「凄いよ。俺、本当に緊張しちゃったよ」


「何、緊張してんだよ。

これくらいの演技、俺にとってはお手の物だよ」


演技というよりは、まるで別の人物が本当に乗り移ったようだった。

舞台で見たつぐみさんに匹敵するような演技力に、僕の期待は高まるばかりだった。


「本当に凄いよ。

表情や言葉だけでなく、鼓動もこっちに伝わってくるくらい高鳴っていたもの」


「そこまで分かっていたなら、気付けよ」


「えっ」


「何でもない。ほら、さっさと行こうぜ」


彼女が口にした最後のほうの言葉が聞き取れなかったが、それでも気にも留めようとしないくらい僕は彼女の演技力に舞い上がっていた。



クラクションを鳴らされたうえにライトまで当てられたので、僕は慌てて自分の車に乗り込みエンジンを掛けた。
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