さよならをください
「よく調べたわね。

苦労したでしょ」


ゆっくりとこちらに近づいてくる。

その姿を見つめることが、今の僕にはどうしてもできずに視線を外す。


「本当だよ。

こんなの十年後だったら、すぐに分かったのに。

不便な時代だよ」


精一杯の強がりのつもりだったが、声が掠れていた。



僕の目の前に彼女が来ても、やはり僕は視線を向けられずにいた。

彼女に視線を向けてしまうと、堪えている涙が一気に溢れてきそうになる。


「そうね、不便かもしれないわね。

でもね、世の中が便利なもの、便利なことばかりになってしまったら、それはそれで窮屈で反って不便になってしまうの。

自分というもの、自分にとって大切なものの価値が分からなくなってしまい、人はそのことに対する想いを何も感じなくなってしまう。

二人で長くこうしていられたのも、世の中にとっては便利なものがなかったからと言ったら大袈裟かしら」


「・・・」


「どんな便利な時代になっても、どんな便利なものができても、あなたの今の気持ちと言葉をそのまま大切だと思える人に伝えてあげて。

私なら大丈夫、私は不便なことは嫌いじゃないから。

だから、これが最後よ」


二人の最後のくちづけは、二人の涙でしょっぱい味だった。
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