人生の楽しい終わらせ方

「ね、カナタ」


ふと、サエキが名前を呼んだ。
隣を向くと、視線は大きな窓の方を向いている。
外なんて真っ暗で、なにも見えないはずなのに。
今日は珍しく、空と海を隔てる漁り火の境界線も見えなかった。


「うーん……私が前にあげたキーホルダーさあ、使ってる?」
「あぁ……あのガラ悪い猫」
「そうそう」
「チャリの鍵についてる」
「へ、チャリ乗るの?」
「乗らない」
「それ使ってるって言わなくない」
「そうかな」
「……ねえ」
「ん?」
「ちょっと、聞いてほしいんだけど」
「……なに」
「あの……さぁ。私のバイト先の先輩、わかる?」
「バイト先……コンビニの?」
「そう、前に会った、よね。……カナタの」


そこで口を噤んだ意味を、カナタは二秒後に理解した。


「名前、教えて貰った日」
「……あぁ」


ちょうどカナタも、その夜のことを考えていたところだった。
手を握られて、名前を教えて、うっかりそれ以上近付いてしまった。
サエキもそのことを思い出して、一瞬躊躇ったのだろう。
感触を思い出しそうになって、強引に意識を引き戻した。

記憶を巻き戻して、サエキとコンビニで偶然会った時のことを思い出す。
確かに、ばったり顔を合わせた直後、サエキに「おつかれ」と同僚然として声をかけてきた男がいた。
彼のおかげでカナタは気まずい再会から一旦逃げることができたが、彼のせいでサエキの本名を知って、自分の名前まで教える羽目になったのだ。

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