龍翠の戦う料理人-Asian World-
戦う料理人(見習い) 関西編
俺は、小学校5年生から高校3年までの8年間、親父の友人が経営する中華料理店でバイトをしていた。
勿論、親父がその友人に頼まれたのだが、バイトの募集をかけても誰も入らない。
人手が足りないから猫の手ならぬ小学生の手を借りるとは、よっぽど切羽詰まっていたのだろう。
洗い物だけでも良いからお願い手伝って!って頼まれて、仕方がないから学校が終わってから、毎日閉店時間(21時)まで働いてから帰宅して宿題して風呂入って寝る!と言う生活が始まった。
土曜日は、昼まで授業があるので、それが終わったらバイト先で昼食を取ってからバイトだ。
日曜・祝日は、朝9時丁度に出勤して夜9時までみっちり働かせられる。
バイト料が幾らなのかは知らなかった。
親父が、
『お父さんがちゃんと全額貯金しといてあげるから、社会人になったらその時に役立てなさい。
それまで預かっといてあげるからな!』
と言われたので、
「分かりました。
お父さんに任せましたから。」
と、全くのノータッチでした。
高校に行きだして、バンドを組んで何かと物入りが続いたので、高校からは手取りにして貰ったけどね。
出前と皿洗いの日々は退屈だ。
だから、洗い物だけでは物足らない俺は、賄いだけでも作らさせて欲しい!と懇願した。
洗い物をしながら盗み見して覚えた炒飯を、見よう見まねで作ってみせて食べて貰った。
ご飯のほぐれ具合や火力等、色々と気を付けながら頑張って作ったのだ。
少し味は濃いめだったが、見込みが有ると言われ、中学校に入ってからはオーナーシェフから色々とメニューの中の料理を教わり、中学校を卒業する頃には全てのメニューを作れるようになっていた。
中1(13才)の時点で身長は165cm以上有った俺は、大人に混じって鍋を振り、包丁を握り、仕込みから調理まで、その店の全てを学んだ頃、俺は高校卒業を目前に控えていた。
卒業したら、うちで働かないか!?と、誘われたのだが、既に神戸の南京町に在る宴会専門の中華料理店に行く事に成っていたので、高3の12月末日をもってその店のバイトを終了した。
年が明けて、冬休みも終り、1月が終り、2月に入ると授業も無くなり、退屈な日々を満喫して、3月1日は卒業式だ。
その翌日に、神戸は元町に来ていた。
その日1日だけはユックリ過ごし、3月3日から仕事だ!
自分は料理の才能がある!
直ぐに職人さん達と一緒に鍋を振り、中華包丁を駆使して綺麗な飾りの前菜なんかも作っちゃうと思っていた。
直ぐに現実の厳しさを思い知らされるんだけどね!