徒花
その日の夜、コウは1時間残業をして帰ってきた。
ドアが開く音を聞くなり、私はバタバタと玄関まで走って行って出迎える。
「おかえり」
帰るなり、コウは私のおでこに自分のおでこをくっつけて、
「充電ー」
と、無邪気に笑う。
私も思わず笑ってしまった。
「ご飯できてるよ」
「いや、先に風呂入るわ」
コウの服は昼間よりさらに汗や泥で汚れていた。
働いていた姿を思い出す。
「手、ガサガサだね」
「おー。汚れてっから触るなよ」
「仕事、大変?」
「そんなことねぇよ。余裕、余裕」
あんなに苦しそうな顔して頑張ってたくせに。
と、喉元まで出かかった言葉は、すんでで止めた。
私は「そっか」としか返さなかった。
ふと、コウは風呂場に向かおうとしていた足を止め、
「給料が出たら、何か美味いもんでも食いに行こうぜ。好きなもん考えとけ」
初めてちゃんと働いて得たお金さえ、私のために使おうとしてくれる。
私はうなづきながら、「ありがとう」と、コウの背中に向けて言った。
愛してくれて、ありがとう。