徒花
てっちゃんの部屋にはいつも変な虫がいる。
最初は追い掛け、追い掛けられて遊んでいたけれど、でもそれもすぐに飽きてしまった。
変な虫は私から一定の距離を保ったまま、触れようと手を伸ばすといなくなる。
まるでそれは幽霊か何かのようだった。
だから常に変な虫に監視されている気がして、てっちゃんの部屋でさえ、次第に居心地が悪くなっていった。
だからって私に、ここ以外の場所はない。
「マリア、覚えてるか?」
ずっとぶつぶつと独りで何か言っていたてっちゃんが、不意にこちらを向いて話し掛けてきた。
「今日、何の日だと思う?」
「知らない。誰かの誕生日?」
「違うよ。俺らが出会った記念日だよ」
私の首元の鎖が揺れた。
ハート型のプレートの裏に刻印された、2年前の日付。
だけど今日が何日かわからない私は、「そっか」としか言えなかった。
「俺、マリアをナンパした時のこと、今も忘れてねぇよ」
「………」
「マリアは用もないのにずっと自販機に寄り掛かって立ってた。つまんなそうな顔して誰かを探してるみたいにきょろきょろしてた。だから俺もずっと見てた」
「………」
「だけど寂しそうな顔して歩き出したから、気付いたら声を掛けてた。二度と会えないんじゃないかと思ったから、体が勝手に動いてた」
「………」
「あの時マリアの手を掴んでよかった。離さないでよかった。俺今が人生で一番幸せかもしんない」
てっちゃんはそう言って私に笑い掛けた。
だけどもモノクロームの眼鏡を掛けてしまった私じゃもう、そのてっちゃんの瞳がどんな色をしているのかさえもわからなかった。
それを悲しいことだと思った。