ふたつの恋と愛
「お疲れ様」


タイムカードを押し、私が座るカウンター席の隣に腰掛けながら、亮さんはタバコに火をつけた。

タバコなんて舌の正確さが求められる仕事なのに…と心配したが、私の杞憂ですんでいるのだから大丈夫なのだろう。

現にお客さんが文句をいってきたり、客足が途絶えたこともない。

素人の私がそんな心配すること自体、おこがましいことなのかもしれないけれど。


「お疲れ様でした」


ブラックが飲めない私のために作ってくれた、ミルクに砂糖たっぷりのカフェオレ。

珈琲本来の薫りや風味が損なわれるし、嫌われると思っていたのに亮さんは笑い飛ばして薦めてくれた。

最近はキャラメルや生クリーム、珈琲好きが見たら発狂でもするんじゃないかと思うほど味をかえてくれる。

ちょっとした事だけれど、私はそれが嬉しかった。


外は夜の帳に覆われ通り雨の後あってか、ショーウィンドゥ越しに見やる商店街に人影はほとんどない。

元々人通りもまだらな場所柄、夜は女性一人で出歩くのは不安が残る。

でもいまの私は、その不安を払拭してくれる手だてがあるから安心だ。


ほの暗い店内にいるのは私と亮さんの二人。

沈黙を破るのは食器の擦れる音と亮さんが紫煙をくゆらす呼吸音だけ。

別に気まずいというわけでもない、亮さんにとっては仕事終わりの至福の時。

無粋に会話をするよりも、このままがきっといいはず。

そう思いながら残りのカフェオレを一息に飲み込んだ。


「ふー…今日は突然呼び出しちゃってごめんね。予定とか大丈夫だった?」


「特に予定も入ってなかったので平気です。お気遣いありがとうございます」



タバコを消し、目一杯に体を弛緩させながら話す亮さん。

私は首を左右に振りながらそう伝えると、表情を綻ばせ「いつもありがとう」と労いの言葉をくれた。


「さて…あ、カップはそのままでいいよ。前で待ってて、バイクだしてくる。今日はどっち?」


「あ…寄りたい場所は特にないので、家の方でお願いします」


「了解、それじゃあ行こうか」


これが私の不安を消してくれた理由。

ラストまでの時はこうして、亮さんが自宅または最寄り駅まで送ってくれるのだ。

二人の距離が縮まる時間。

バイクだから気兼ねなく体に触れられるし、会話こそ運転中は出来ないけれど大切な時間。

赤面の顔を見せないよう注意を払い、カウンターの収納棚からヘルメットを取りだして、一足先に店を後にした。

続いて亮さんが店の照明を落として施錠し、店の横に停めている大型バイクのエンジンをかける。

ガソリンの燃える臭いと排気が周囲に撒き散らされ、出発の用意は完了。

私はヘルメットを被って、もたつきながらも後ろに座り、バイクは家路へ向かう。


ほんの少しの、幸せな時間が始まった。
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