風の吹かない屋上で
俺は人に見られながら食事するのが苦手だ。昔からこうだったわけじゃないし何がきっかけでこうなったのかは分からないけど。
「……あの、見られると食べ辛いんだけど」
「美味しそうね、卵焼き」
一体なんなんだこの人は!
遥は俺が口に食べ物を運ぶのを一瞬でも見逃したくないというように真剣に俺の顔を覗き込んでいる。
「弁当ねぇのか?」
「私、一日2食なの」
小学校の頃の給食はどうしてたんだろう……と気になったが何もあえて聞かなかった。
早く食べてしまおうとご飯をかきこんだ。
「なんで、生き物は生き物を食べるんでしょうね」
遥が自身の髪の毛を指先でくるくる弄りながら聞いた。彼女の栄養のほとんどは髪に回っているのだろうか、やけに艶やかだ。
「腹が減るからだよ」
「どうしてお腹が空いて、生き物を食べるのかしら?」
「……生きるためだろ」
「生きるために生き物を食べても良いの?」
エビフライを口の中で噛み砕いた。
なんだよ、自殺願望者かと思ったら今度はベジタリアンかよ。ますますわけが分からない。
「例えば貴方がいま空腹を満たすために頬張ったエビフライ……ほんの少し前は海の中で自由に泳いでいたんでしょうね」
「それがどーかしたのか。肉や魚じゃくても植物だって生き物だ。遥も生き物を食べてここまで生きてきたんだろ」
ごくりとエビフライを飲み込む。胃にずっしりと溜まる感じがした。
「食育で習ったと思うけれど、私たちはたくさんの命をもらって生きてるわ。私だって肉も魚も野菜も食べるし、お菓子も大好きよ」
「だったらなんだよ。俺がエビフライとか卵焼きを食べるのが悪いことって言いたいんじゃないだろうな」
変なことばかり言う遥にイライラした。
せっかく母さんが作ってくれたお弁当なのに、マズくなっちまうじゃねぇか。
「たとえばさっきのエビ、貴方の胃袋に入らなかったらもっと数が増えていて、ひとつの命から百ほどの命が生まれたかもしれないのよね」
胃袋の中でフライされたエビがはねるシーンを思い浮かべた。思わず吐きそうになった。
「私たちが生き物を食べるとき、たったひとつの命じゃなくて、ひとつの命から生まれる何百もの命を犠牲にしてるということになるわ」
「いい加減にしろよ! 人がメシ食ってんのに気持ちの悪いことばっかり話しやがって! そんなに生き物の大切さを語るなら、あんな自殺みたいなことすんじゃねぇ!」
フェンスの向こうに立つ遥が語りかける。死にたいと思ったことはあるかと。
セーラー服の袖口がめくれる。赤い傷口が俺を嗤う。
「私が言いたいのは、生き物が尊いとかそういうのじゃないの。ただ、私たちは数えられないような死と引き換えに生かされているんだってことなの」
脳裏に浮かぶ。俺の胃袋の中で卵が孵り、中からヒヨコが出てくる。
生まれたてのヒヨコは俺の胃袋を突き破ろうと内壁をクチバシでつつく。
でもつつけばつつくほどヒヨコの足が、羽が消えていって、最後には卵焼きにクチバシが生えた姿になる。
気持ちが悪い。
「梶木先輩……ですよね。もう俺は、二度と貴女に会いたくありません。生きることとか死ぬこととか、国語力無い俺にはさっぱりなんで……これで、さよならしましょう」
あえて敬語で早口で話す。
まだ3分の1は残っている弁当にフタをしめて、箸をケースに入れると、こみあげてくる酸っぱいものをこらえながらトイレに全力で走った。
便器に顔を近づけると予想通り胃から逆流してきたものが口から溢れ出した。
何度も、何度も、吐き出した。
涙と鼻水が零れた。
「はは……命が、流れてく」
便器に溜まった吐瀉物を眺めて、俺はなんとも思わない俺自身を嘲笑った。
俺は、誰かが死ぬのは嫌なのに、死んだもので存在しているものは別にどうでもいいんだ。
「……ちくしょ」
記憶の中のガリ勉のあの子、愛花姉ちゃんの左手首。
命はどれも平等であるはずなのに、便器に溜まった命にそれと同じ価値があるとはどうしても思えなかった。