風の吹かない屋上で
「思い出せる中で1番古い記憶はあのおじさんの人身事故だな」
「……まだ5歳なのに、ずいぶん衝撃的なものを見てしまったのね」
「俺はおじさんの死体を見てないし、記憶にも無いから、その件はあまり影響は受けてないけどな」
日も暮れてきたので帰ることになり、墓の最寄り駅で俺と遥はベンチに座った。
通学カバンを膝の上にのせて、文庫本を読み始めた遥の姿は、育ちの良いお嬢様というイメージを与える。
読書という高尚な暇潰しの手段を知らない俺は、ケータイでゲームをしながら沈黙をやり過ごしていた。
間もなく電車が来て、俺と遥はそれに乗り込んだ。客は少なく、おさげの女学生が3人と老人が1人乗っているだけだった。
辺りがもう夕焼けを通り越した夜に染まっていた。
女1人で帰らせるのもあまりよろしくないということで、遠慮する遥を家まで送って行くことにした。
遥の家は俺の家の最寄り駅から学校とは逆の方面に3つ、乗り換えて2つ離れた駅にあった。
いざ降り立ってみるとぎょっとした。そこは、閑静な住宅街という表現が似合う高級住宅街だったのだ。
どの家の車庫にも、ベンツやBMWが止まっており、外敵から守ろうとするように家の周りを高い塀が囲っている。
「すげぇ、こんなとこ住んでんのか」
「なんてことないわ」
遥はしれっと答えると、それまで通り過ぎていた家より、ひときわ大きな家の前で立ち止まった。
和風の門構え。ざっと見たところ長年増改築を繰り返している日本家屋といったところだろうか。
奥の庭には松や竹が生えているのが見える。
ひのきの引き戸の右上には、梶木と書かれたプレートが貼ってある。
ということは、ここが遥の家らしい。
すげぇ。
テレビとかに出てきそうだ。
「上がって」
「えっ! いや、俺ここでいいよ!」
「……晩ご飯食べて行かない?」
丁度そこで腹が鳴った。
俺の頭は、早く帰って散らかった部屋でポテチを貪りたいと思っていたのに、こんなときに腹の虫は裏切り者である。
「んじゃあ、お言葉に甘えて……」
俺はひのきの引き戸に右足を踏み入れた。