風の吹かない屋上で
兄の心境としては複雑なところである。
目を潤ませ頬を赤らめた美由紀がたもとを見つめる。
あーもう、好きにやってくれ。
俺は知らないという態度を貫いていたが、美由紀の目がたもとの連絡先を聞いて欲しいと訴えていた。
確かにファーストコンタクトからカップラーメンができあがる時間すら経っていない美由紀が連絡先を聞くより俺がさらりと聞いたほうがナチュラルだ。
「たもと、また連絡したいから連絡先教えてくれ」
「あ、俺も」
「俺も」
駿介も了平も同じように名乗り出てくれたおかげでスムーズに連絡先が聞けた。
見たこともない型で見たこともない動きをするケータイを目の前にしながら、ふと後ろの美由紀を見る。
その目はたもと以外何も映ってなくて、あまりの盲目さに一瞬恐怖で背筋が粟立った。
ピンポンが鳴る。ノイズに混じって透き通ったガラス細工のような声がする。
「おじゃましまーす、梶木です」
了平がどうぞと言うと玄関のドアが開いた。
黒いワンピース、薄手の黒いストッキング。
背景の暗闇に溶け込む真っ黒な衣服を、べったりと水に濡れた真っ赤な傘とあまり濡れていない青い傘が彩っていた。
「すいません、うちのたもとが……」
前髪から滴り落ちる水滴をハンカチで拭きながら遥が頭を下げる。
駿介と了平は硬直していた。
二年生の学年トップ。
容姿端麗、成績優秀の梶木遥が私服で、こんなところに。
クラス一可愛いと評判の美由紀ですら霞むくらい、遥の容姿は魅力的だった。
「あら、なんで翔太がここにいるの」
「この家に住んでる了平ってやつの友達だから」
遥が俺たちと美由紀を交互に見る。
「たもとがこんな時間まで出歩くのは珍しいわ。ひょっとして貴方たちが……」
「姉貴っ、了平も駿介も、翔太も、誰も悪くないんだ」
たもとの息が切れている。
過呼吸だ。あわてて袋を探したが見つからなかった。
美由紀が黒いバッグから茶色の紙袋を取り出すが、たもとはそれを断り、話し続けた。
「僕が弱かったから、みんなに迷惑をかけたんだ。……ごめんなさい」
泣きそうなのを堪えながらたもとは肩を震わせて言った。
美由紀くらいの細さしかない骨ばった腕は血管が酷く浮いていて、今まで意識しなかった左手首には薄いけれど大きな切り傷があった。
遥は無言で俺を見る。
これは後日詳しいことを聞かせろということだろう。
今日は役割が多く回ってくる日だ。俺は頷いた。
「もう帰りましょう。家に帰って、温かい飲み物でも飲みましょうね」
「……あの人が怖い」
「お父さんには私がよく話しておくから」
たもとは小さくため息をつくと俺と駿介と了平に深いお辞儀をした。
すると了平は洗濯機のところまで行って、しばらくして戻ってきた。
手にはビニール袋がぶら下がっている。
きっと風呂に入る時に脱いだたもとの制服だろう。
「たもと、俺の服はいつでもいいから絶対お前が返しに来い。絶対だ」
「ありがとう」
たもとが笑った。
そっと後ろの遥を見ると遥も笑っていた。
腹違いの姉と弟なのに、笑った顔はびっくりするくらいそっくりだった。