魅惑の果実
泣きながら駄々をこねる私の喚きを、桐生さんはただ黙って聞いていた。


桐生さんは今どんな顔をしてるの?


顔が見えないから何を思っているのか分からない。


呆れられているかもしれない。


凄く怖い。


拉致された事、縛られた事、売られそうになった事、人が死んだ事……どれも信じられない事ばかりで、それでも現実で起きてしまった事。


どれもすごく怖かった。


だけど今貴方に背を向けられている事が何よりも怖い。


そばに居られなくなる事が怖くて堪らないの……。



「莉乃、手を離せ」

「っ……」



唇が震える。


私は顔を埋めたまま首を横に振った。


すると力尽くで桐生さんに身体を離され、前から抱きしめられた。



「俺がお前を抱きしめてやれないだろう」



逞しくて温かい腕に包まれ、ずっと感じていた恐怖が少しずつ薄れて行く。


桐生さんの背中に腕を回し、目を瞑った。


やっと……やっと、桐生さんの背中に手が届いた。





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