懐古語り
「おっと」
突然の人影に先導の女房が「きゃあ」声を漏らす。
だが、聞きたいのは君の声じゃない。声を出した女房には目もくれず、女御へと視線を落とす。
女御は急な人影に止まりきれず体制を崩す。
「あ」
小さい悲鳴が聞こえ、私の体につこうとした手を何とか堪え、その場にへたりこんでしまう。
少しやり過ぎたかもしれない。屈んで助け起こそうとしたその瞬間、微かに聞こえた声をも忘れてしまうかと思った。
隔てるものは扇も何もない。
女御と真正面から目があった。
想像通りの形のよい、柔らかそうな唇は微かに開いておりそれが妙に色っぽく見える、切れ長の目は驚きで見開かれている。
本能の赴くままに押し倒して激しく口付けしてしまいたくなる。
だが、冷静になるのはやはり向こうが早かった様だ。すぐに袂で顔を覆ってしまう。
声をかけようと口を開くと同時に女房の声が響いた。
「あ「女御様っ」
女房の、血の気の引いた顔に大変な事をしてしまったと今更ながらに後悔する。
「お身体は!?」
女御に直ぐ様駆け寄る女房に、懐妊していることを思い出す。いかに自分が子供だろうが、妊婦が転ぶ事が大変危険ということは分かる。
本当に大変な事をしてしまったのだ。
その場で固まってしまう私を女房がきっと睨み付ける。
「そなたっ…!?宮さま!?」
飛び出した人物が東宮の弟であると知り、女房は困惑する。
「何故、宮様がこの様な!?……あぁ、そんな事よりも、誰か!」
女房は女御を支えながら、助けを呼ぶ。
「あ…」
自分も何かしなければと思うが、身体が萎縮してしまって、うまく声も出せない。これでは謝ることすら出来ない。
ただ、青くなっている私に、優しい声が届いた。
「大丈夫です、身体は大丈夫ですから。そんな顔をしないで?綺麗なお顔が台無しですよ」
一瞬誰が言ってるのか、何を言ってるのか理解できなかった。
私を安心させるように微笑んだ優しい顔に、ただ安堵した。
女御はそれから、女房にも「本当に大丈夫だから」と言い聞かせると、もう一度こちらを向いた。今度は袂で顔を隠しながら。
「さ、人が集まる前に」
「あ…」
促されるままに、逃げるようにその場を後にした。凄く子供で情けない。何より格好が悪い。
遠目から振り返ると、集まってきたなかに兄の姿が、見えた。心配そうな兄に、驚いた顔とも先ほど私に見せた優しい顔とも違う顔で笑う女御に、胸が強く締め付けられた。