こんな能力(ちから)なんていらなかった
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——ちゃぷん
湯船に足を付けて温度を確認した後、そのまま体を思い切り沈める。上を仰げば湯気でボケてるが結露して水滴が大量についている天井がある。
優羽は湯船のお湯を掬うと顔にかけた。
熱いお湯は肌の奥まで浸透し、体の芯から温める。
「柊紫音か——」
ポツリと呟いたそれは今日出会った青年の名前だった。
『私には三年から前の記憶がないんです』
カミングアウト後、青年——いや柊紫音は何故か名刺を渡してきた。
見れば、そこには柊ホールディングスの文字と柊紫音という文字、それとメアドと携帯の番号があった。
その時のことを思い出した優羽は思い切りお湯を頭から被る。
あの時戸惑った優羽に青年は紫音って呼んで?そう囁いた。
そこらの俳優よりも綺麗な顔をした青年に顔を寄せられ、人形のように優羽がこくこくと頷くと嬉しそうに笑った。
優羽は頬を真っ赤に染めながら、紫音に尋ねた。
『貴方は私の何だったの?』
結構勇気を出して聞いたのに紫音は、端整な顔を崩して悪戯をする子供のように内緒とお茶目に笑った。
その後は、何を尋ねてもはぐらかされるだけで、何も答えてはくれなかった。