こんな能力(ちから)なんていらなかった
それは、
まるで、紅葉した山のように——
千秋の刀身が真紅に染まった時、靄は既に眼前に迫っていた。
優羽は焦ること無く、刀を横に薙いだ。
するとブワッと靄が周囲に広がる。
靄の無くなったその場所に、残ったのは哀しみで塗りつぶされた思念。靄だけれど分かる。あれは女性だ。
その顔は苦痛で歪み、見ている此方が辛くなる程で。
その女性の手が優羽の頬に伸び、優しく触れる。
その刹那流れこんで来る記憶の濁流——
それは男に裏切られたまま死んでいった女性だった。
病気にかかってる間に大好きだった男は他に女を作って。
でもその男が好きで好きで。
死んでからもその気持ちは忘れることができなくて。未練の為に成仏出来なくて。
その未練は悪念を呼び、大きくなる。
そして、それは大きくなればなるほど自分の意思ではどうしようも出来なくなる。
優羽はその女性を一瞬だけ哀しそうな目で見た。
だが、躊躇うことはない。躊躇するだけ無駄なことだ。
躊躇ったところで辛い思いをするのはこの女性なのだ。いつまでも暗闇に閉じ込められ、思いは負の連鎖を続ける。
振り上げられた刀身は真っ直ぐに靄に向けて振り下ろされる。
切られたそれは最後に微笑んだ後空に霧散していった。
その場には靄の残り香だけが残った。
淀んだ空気を千秋で切れば、重苦しいものは昇華され一瞬で清浄なものへと変わる。
「——次の世ではいい人に巡り会えますように」
死んでしまった美しき人に、慰みの言葉を述べ、優羽は目を閉じたまま黙祷を捧げた。