深海魚の夢~もし、君が生きていたなら~
その後の仕事中も「彼氏さんギター弾いてくれるんですか!?」とか「芸能人と知り合えるなんて凄い!」なんて言われてしまって、話が飛躍し過ぎて参り果ててしまった。
サクラさんは何重にも自慢話を膨らませているけれど、カナタとジュリの属しているRe:tireはまだインディーズレーベルで、デビューなんてしていないから芸能人とは言い難いのに。
キンキンするサクラさんの高い声に不快感が止まらなくて、バッグの中から取り出した頭痛薬を二錠、水もなしに飲み込んだ。
カナタの話題の副作用で、集中力もガタ堕ち。
ケアレスミスばかりを繰り返して今日の仕事は散々だった。
(…最悪。最悪最悪サイアク!)
サクラという女と再会した事が、災厄としか思えない。
駅の改札を通り抜けようとして、チャージ不足で引っ掛かる。
私の心だってチャージ不足だ、と毒づきながら料金を足して電車に乗った。
携帯を見ると『出勤して店なう(≧∇≦)』と更新されたLINEが届いている。
ドアのガラスに反射した自分の顔は険しい。
私が苦手な新宿の街。
新調したばかりの靴が情緒を圧迫して、痛い。
目的地は、GPSより正確。
キャッチのお兄さん達を横目に、ホストクラブ『Heaven』の扉を迷いなく開く。
また来てねー、なんて軽い調子で手を振り、客の女の子にべったりとくっつかれているジュリが目に入った。
文句を言ってやろうと腕組みをして入口に立っていると、久しぶりだね、と近づいて来たのは、涼木 亘(スズキ ワタル)。
愛称はズッキー。
この店の手伝い兼Re:tireのベース、リーダーを担当している。
ストレートで肩まで長い青色の髪をひとつに括り、優しい笑顔と悠長に話す癖が特徴だ。