深海魚の夢~もし、君が生きていたなら~
Heavenを出て、想いの醒めないうちにと、歩きながら携帯を取り出した。
そんなに酔っていないはずなのに、頭の中がぴりぴりとした鈍痛に襲われている。
指先でアクション。
カナタの名前をなぞってから、通話ボタンを押す。
頭の中は妙にクリアで落ち着いている。
…私には、わかってる。
きっとカナタは、この電話には出ないだろう。
私は、決めている。
この電話が繋がらなかったら、ただのRe:tireのファンに戻るという事を。
一コール、二コール…
『──お客様のお掛けになった電話番号は、現在……』
機械的なアナウンスの声。
…ほら、やっぱり。
(電源入れてないなんて、悪い事してます、ってわかるようなもんだよ、カナタ)
メールの回数も、会う頻度も減っていた。
楽しかった会話もマンネリ化して、一緒に音楽を聴いたり、図鑑を見て魚当てゲーム、なんてくだらない事をする時間もなくなって。
インスタントのように軽々しく沸かせる関係になるのを見ているのが、嫌だった。
慰めるように点滅を繰り返す新宿のネオン。
路地裏のホテル街から腕を組んで出てきたカップルが、カナタと他の女に被って見える。
──『さようなら、お別れです』
信号待ちで短く打ったメール。
文章は短くても、今の私の本音。
別れたくない。
別れたい。
…きっと、歩む道が違う。
──3、2、1。
青になるのと同時に送信ボタンを押す。
──送信完了しました──
無機質な文字を見たら色々なものが溢れて、改札を通り抜けた後に駅のホームで俯く。
スーツの袖口が黒く汚れるのも構わずに涙を拭って、小さな声でしゃくり上げて泣いた。
周りに並んでいる人達が気不味そうにちらちらと視線を投げ掛けてくるのにも構えない程に、五年という月日の最期が短いメール一通で収まってしまうのが悲しかった。
…悲しいうちは本当はまだ未練があるんだ、って誰かが言っていた気がする。