掌編小説集

435.ムーンストーンの寵愛(彼目線)

「風邪をひきますよ。」





差し出された傘で土砂降りの雨を遮ったのは、彼女だった。





所轄の警察官で、憧れた職業だから大変だけどやりがいはあって。


だけど、女だからと皮肉も言われるらしい。





「私でよければ、話し相手になりますよ。」






思わず口にしていた言葉に、彼女はそう笑った。





あれから数ヵ月。



彼女との穏やかな時間を楽しみに日々を過ごしていたのに、家中が跡取り問題に躍起になってしまった。


どうにもそういう面で生理的に受け付けない妻に離婚を宣言して、飛び出した。





「どうしたんですか!?」





あの日、初めて出会った時のようにずぶ濡れの俺に驚いた彼女。


それはそうなると後からになって思うが、今はそんなの構ってられなかった。





「私でよければ。」





そう俺をまた受け入れてくれた。




明くる日の彼女は、何事も無かった様に、でも朝帰りになることを心配してくれた。





「朝ごはん、すぐできますから。」





切羽詰まり過ぎて、無理矢理なのは明白なのに。





「分かりました。私でよければ、すべてが終わるまで待っています。」





そう言った彼女から感じたものは、きっと間違ってはいないと直感した。





たとえ、二度と会えなくなっても。




肌から感じるコンクリートとうたれた雨の冷たさに奪われる体温だって、階段の上の気配だって、褒められた関係ではなくて、どんなに非難を浴びようとも、そんなものどうでもよかった。


今際の際に貴女を感じられたから。





思い出が二度と増えなくても、彼女に出会えたという事実は失われない。










『すべてが終わる』





視えていなかったのはお互い様だと、彼女は呆れるだろうか。





数年後の、すべてが終わったこの世界で、独りきりで取り残されなくて済んだ。


たった一度の奇跡である彼女との愛の結晶が笑うから。



名実共に、最期まで家族として一緒に居られる。










『貴女に出会えてよかった。』
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