掌編小説集

565.レッドヘリングはコデッタにて

時を遡ること五百年前、世を統べていたのはトッププレデターの竜であった。
だが、人間は長い年月をかけて魔術という武器を生み出せたことで、食物連鎖の下位から抜け出し支配と共存との均衡を保ってきた。

しかし人間は欲深い生き物である。
コンペティションなど生温く、ノブレス・オブリージュをさも無関係とばかりに放棄。

竜を支配し食物連鎖の上位に君臨したいと画策する者が各地に現れる。
その野望に興味を示した好戦的な竜達のアンセムを追い風に、亀裂が生じて不穏な空気が漂い始める。


そんな中、とある国では竜の力を必要としていた。
手っ取り早く自国の領土を広げる為だ。

しかし、戦に竜の力を持ち込めばせっかく保ってきた均衡が崩れ混乱を招いてしまう。
そもそも人間如きの争いに、誇り高き竜が協力してくれるとは到底思えない。

ただ、人間は竜に敵わなくても竜同士は戦って勝敗が着く。
一子相伝でも一家相伝でも人間の魔術では焼け石に水でしかないけれど、竜には竜を倒す魔術が存在する。
それ故に竜そのものではなく竜と戦える人間を手に入れることにした。

思い立ったが吉日とばかりに、孤児達を集めさせた皇帝は友好的な竜達を言葉巧みに謀る。

君達を使って戦争を起こす人間が現れた。しかし、私達は君達とこれまで通り友好的に過ごしていきたい。ただ、君達が戦っては均衡が崩れてしまうだろう。
だからお願いだ。私達に君達を守り戦える魔術を教えて欲しい。

嘘八百並べ立てた訳じゃない。半分は本当の話だ。
戦争を起こす人間も均衡が崩れてしまうのも本当。友好的に過ごしていきたいのと守りたいのは嘘。

皇帝の裏事情など露知らず。
手付かずの遺跡が存在する山の奥深くで、友好的な竜達は魔術を孤児達に指南する。

皇帝が躍起になっている間、皇子は皇后や侍従達の目を盗み窮屈な城を抜け出しては、侍従達の子供の中で兄とは同い年の幼い兄妹と仲睦まじく遊んでいた。

調査と称して遺跡を探検していたところ、孤児達と竜達に出会い皆友達になった。


それから数ヶ月後、皇帝の計画より事態は悪くなる。
竜を支配したい人間が均衡を崩したのだ。
もちろん好戦的な竜達を伴って。

好戦的な竜と友好的な竜。
支配したい人間と共存を築きたい人間。
支配側と共存側、両者入り乱れて国は戦場と化した。


孤児達はまだ魔術を習得していない。
狼狽した大人達は自分達のことに必死。
恐らくこのままだと支配側が勝利を手にする。
何故なら共存側の方が圧倒的に数が少ないから。
戦況を鑑みた多くの中立側が支配側についたからだろう。


だから皆で考え、この世界から離れることに決めた。
幼い兄妹の妹は、膨大な魔力が必要な時を越える魔術が使えたからだ。
いつか支配側の竜達を滅することが出来るようになるまでの時間稼ぎとして。

時を越える魔術は、四方八方を囲われていなければならないらしい。
戦場から少し離れた遺跡の中の山岳トンネルを利用することにした。
孤児達と竜達が入れるだけの十分な広さがあり、出口は崩れて通れないので、魔術で扉を入口に構築すれば密閉空間が作れるからだ。

妹が時を越える魔術を使う間、邪魔をされないように遺跡の少し手前で兄が戦い、皇子が孤児達と竜達を先導して逃がす。


兄を迎えに行く途中、妹は気付かなかった。
怒号と武器の音だらけだった空間の異変に。

灰色に煙った空に赤黒く染まった大地。
その中央に剣を持ったまま両膝をつく兄。
そこに実在した景色はそれだけ。

動かない兄に駆け寄ったことで見えた姿。
魔力の強い竜の血を浴び続けたことによる副作用なのか、その身体は竜と化しつつある。
話しかけても揺さぶっても反応が無く。
刹那。
雄叫びをあげた兄は攻撃を撒き散らす。

様々な影響を与えられたのは、きっと近隣諸国だけではないだろう。
兄の近くにいた妹も例外ではなく、衝撃で気を失った。
再び目を開けた時には兄の姿は無く、国も草木も遺跡も何一つ無い。
青い空に亜麻色の荒野が広がっているだけ。

衝撃の影響なのか、時を越える魔術が使えるほどの魔力は妹にはもう無い。
けれど微かに感じ取った兄の魔力。
どこかで生きていると信じ、孤児達の成長を願いながら各地を転々と探す。

そしてある地で再会を果たした兄は、完全なる竜の姿だった。
感じる魔力は間違いなく兄であったけれど、妹さえ認識出来ないのかいくら呼び掛けても無反応。
それどころか攻撃される始末。
しかも人間を虫螻と思っているような、その攻撃はまるで遊んでいるよう。

とはいえ、このまま見過ごすわけにはいかない。
退けられなくて凌ぐことぐらいしか出来なかったけれど、気まぐれに現れる兄を止める為に魔力を頼りに探し続け戦い続ける。


ある時、兄から攻撃を受けた拍子に、ポリグラフも匙を投げるほど妹は全ての記憶を失ってしまう。
自分が何者かも分からずに放浪していた折り、とある魔術組織に拾われ魔術師となった。

この日舞い込んだ仕事は、この国の王女からの依頼。
山の中にある魔術で作られた扉を開けて欲しいとのことだった。
開ける為には魔力がたくさん必要と言われて集結した仲間達、同時に依頼されていた他の魔術組織と共に扉に向かう。

協力し扉を開けた瞬間、絶滅し伝説として語り継がれていた竜が現れる。
想定外のことにパニックになりながらも扉を閉じることは出来たが、数百ほどの竜達がこちらの世界に来てしまった。

こんなことになるなんて知らないと動揺する王女の前に、未来から来たという一人の男が現れた。
竜さえも服従出来る魔術を完成させ数年なら時を越える魔術を使えるほど魔力を持った男だったが、目的である世界を征服する為に欠かせない肝心の竜がこの世には存在しない。

だから遡れるだけ遡り、まだ未熟であった王女に未来の知識を披露し自身の存在を信じさせた。
その上で、世界を破壊しにやってくる数千の竜を倒す武器が扉の中にあるけれど、開ける為には魔力が大量に必要だと言って騙していたのだった。

友好的な竜達が男の魔術を振り切り共に戦ってくれ、大乱闘の末男を倒すことに成功する。
と同時に未来が変わり、御陀仏となった男も戦っていた竜達も消えて、国を守ることが出来た。

しかし、めでたしめでたしでは終わらない。

竜を見て竜の魔力に触れたことで、妹は記憶を取り戻した。
目の前の扉を自分が構築したこと、仲間達の中に皇子と孤児達がいること、素性や目的の全てを。

あの惨劇から五百年、記憶を失ってから二年。
今度こそ兄を止める為、妹は再び動き出す。

王女と仲間達、共に戦った魔術組織。
攻撃を撒き散らした結果生まれたと言い伝えられている不老不死の呪いを受けた妹が属する魔術組織の初代頭領。
取り戻した記憶全てを話し、兄を止めて欲しいと頼む。

しかし皇子と孤児達は困惑していた。
なぜなら皇子と孤児達には五百年前の記憶が無く、この時代に辿り着いたであろう後の記憶はバラバラ。
気が付いた時には孤児一人に竜一匹、皇子は一人と、散り散りになっていたという。
時を越える魔術のせいか、兄の撒き散らした攻撃のせいか、判別がつかなかったけれど。

ただ、竜達は孤児達に魔術を指南してくれていた。
お互いに教え教わらなければならないという、使命感のようなものがあったという。
竜達は指南した後、寿命を迎える前に孤児達に魔力全てを分け与えた。
それはこの時代では古代魔術と呼ばれているもので、孤児達が日常的に使っていた魔術がまさかそれとは誰も思うまい。

それでもみな、協力を惜しまないと言ってくれた。


妹の決意を感じ取ったのか、相まみえた兄は五百年前より少し成長した青年の姿をしていた。
竜の姿よりも敏捷性があり、全勢力を持ってしても歯が立たない。
どうすればいいのかと血眼になって考えを巡らせる。
このままでは全滅どころか、五百年前と同じように国ごと破滅してしまう。

孤児の一人が兄の攻撃を避けきれず、咄嗟に守ろうとして妹は赤に染まる。
魔力と赤色が舞う中、駆け寄ろうとした仲間達の頭の中に流れるコンパートメントに詰め込まれていた残像。
御者がマイナーチェンジして運んできたのは、リブートして蘇らせてしまった五百年前の本当の真実。


自国の領土を広げる為に兵力を上げたいのだが、一体どうすればよいかと皇帝は悩んでいた。
産まれた皇子は双子の男の子だったが、長兄は虚弱で、次兄は気弱で、国を背負っていくことも兵力としてすら役に立たない。
竜というこの世で最強の生き物は存在するものの、思惑通りに動いてくれるとは到底思えない。

だから皇帝は、竜の力を借りるのではなく竜そのものを造り上げることにした。
幸運にも皇帝には数日前に娘が産まれたばかり。
幼い竜から採取した遺伝子を娘に組み込む実験は秘密裏に行われ、イニシエーションを踏まされ竜人と化した娘に皇帝と皇后はとても満足気な表情を浮かべる。

心の中では兵士などには目もくれず、娘の力を内密に利用しながら国土を順調に広げていく。
同時進行で国民からの支持を継続させる為に、表向き友好的な竜達を騙して味方につけて、孤児達の支援とばかりに魔術の指南を受けさせる。

皇帝が躍起になっている間、皇后や侍従から興味を失われ半ば放置されている双子の皇子達は、退屈な城を抜け出し探検していた遺跡で孤児達と竜達に出会い仲を深めていく。

兄達と一緒にいたくて、妹も戦の隙をみては抜け出して皆友達になった。


境遇や立場を越えて築く絆と愛。
紛糾に耐えきれず戦場と化す国。

欲に付け込まれ質草さえ手放してまで、
あしらいを思い過ごして相手にされず、
未来に門前払いされたなおざりの現在。

違和感を見過ごした過去は消せないけれど、新しい明日ならいくらでも書き加えられると。
青臭い幼き理想を並べ立てたのは、漠然と迫り来る不安を吹き飛ばしたかっただけかもしれない。

膨大な魔力は竜人となった自分が賄うことが出来ると分かっていたから、時を越える魔術を使えると自慢気に言うことでこの世界から離れることを決めさせた。
密閉空間が必要だと言って、遊び場にしていた出口が崩れて通れない山岳トンネルに連れ出す。

長兄に先導を頼んでいる時に、後ろから付いてきていた次兄が兵士に見付かってしまい戦場へ連れ出されてしまった。
でも陥落に迫る魔の手はすぐそこまで。
全員に気付かれる前にと魔術で扉を入口に構築して、次兄と一緒にすぐに追いかけるからと指切りをして扉を閉めた。
二度と開けることの無い扉にかけるのは記憶を消す魔術。

実は時を越える魔術に密閉空間は必要ない。
魔力が膨大過ぎて使える者が限られるだけ。
ただこの涙を見られたくなかっただけ。


戦いに勝利すれば褒めてくれる両親。
自国は安泰だと信じて慕ってくれている国民。
付け上がりを叱る人間はおらず、拗ねないように煽てれば調子に乗ったまま、祭り上げられたコピーキャットの秘蔵っ子に群がる。

命さえ弄ぶことを厭わず理想の箱庭を死守したい彼等を裏切らない為に、罅割れた如何様賽子を無理矢理投げ続ける忌まわしき無限回廊。
侵犯され磨り減らされた妹の精神は、堕ちる感覚もないまま無自覚に逡巡との決別を芽生えさせる。

真実を知らせぬままでも約束は果たせないから。
沢山の想い出を消し去っても守りたかったから。
両手に余るほどでも成し遂げたかったから。


後は戦場にいる次兄だけと探すその空間の景色は、風光明媚の残滓すらなく荒涼が充足するばかり。
やっと見付けた次兄は傷だらけで赤に染まり、両膝を付いて見慣れない剣を握り締めている。

呼び掛けには応えてくれない。
駆け寄ったことで間合いに入ってしまった妹。
精魂尽き果ててしまっていた次兄は、近付く人影を妹だと認識することが出来なかった。
刹那。
剣を振りかざして。

誰も憎めないブービートラップ。
赤が飛び散る中で倒れ込んできた妹と目が合う。
抱き留めた良く知っている温もりに流す涙。
生物の希望も世界の絶望も落伍の失望も。
もう何もかもどうでもよかった。

涙の奥の良く知っている眼差しに妹が想うのは頑冥な願い。
傷口から妹の竜の遺伝子が入り込み次第に次兄は竜と化す。
掬いあげきれずに零れて二度と戻らないのは生命の息吹き。

ずっと一緒にいたかった。

察するに余り有る愛憎の阿鼻叫喚。
截金は共鳴し青海波のように広がって、不老不死を生み記憶を改竄し、それは呪いと呼ばれてしまうものに成った。


甦らせたくなかったアーカイブ。
それでも贖い守る為に、せめて身勝手を壊すことで縋ろう。
戯けを秘鑰に、赤色を目印に、魔力を足し乗せて、須らく解いてみせる。

竜人となって国の為に暗躍させられた皇女は。
友達の行く道が幸多からんことを願った妹は。
記憶を失ってもなお終わらせたかった彼女は。

身体や気が弱くても優しく勇敢な兄達。
何事にも茶目っ気たっぷりの友達と仲間達。
帰幽なんか認めないなんて啼泣を置き去りに。
指切りした大好きな人の腕の中でアッシュとなる。


打ち疲れた鼓動が書き下ろす山荷葉。
どうか造花の様に褪せぬ不変の夢を。
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