掌編小説集

566.Catch me if you can.~秘密の暴露になれるなら~

私は個人事務所を開いているまだまだ少壮な若輩者。
父から引き継いだ小さな事務所で、父と職種は違うけれど少数精鋭の所員達と多忙な毎日を過ごしている。


ある日、いかにもって風貌の人達を引き連れて、高そうなスーツを着込んだインテリメガネの男が現れた。
醸し出される居丈高を隠す素振りもなく、開口一番この事務所を譲って欲しいと言った。
何でもとある御仁の思い入れがとても強い場所で、是非とも買い取りたいって話らしい。
理由が理由なら盤踞することなく話を進めようと思うんだけれど、具体的なエピソードも子細も何一つ話せないの一点張り。

至極丁寧なフリをして感情に訴えかけているけれど、その言動はのらりくらりとしていて繕った体裁に熱意なんて感じられず真意がまるで読めない。
地上げと大して変わらないし、父から受け継いだ大切な事務所だ。
だから屈まらずに思いっきり袖にして、お断りしますと語気を強めて突っぱねる。


そうですか、残念です。また来ます。なんて、残念さを1ミリたりとも感じさせないニヒルさたっぷりの笑みと共に出て行った。
宣言通りに何回も来たけれど、私は排斥の姿勢を崩さなかった。
片田舎の箱入り娘じゃあるまいし、このくらいの修羅場ぐらい迫られたって秀外慧中で跳ね返す。


それでもリスポーンよろしく、懲りないというか粘り強いというか、紋切り型のように去来して。
そんなインテリメガネに辟易しながらも外回りをしている時、旧知の仲で友達でもある警察官から電話がかかってきた。
いつものクレバーな泰然自若ぶりは鳴りを潜めて、特に用件は無いと言うその声はなんだか躊躇っているように聞こえたから。
貴方は貴方の正義を貫けばいいんだよ。と言ってみた。
一瞬言葉に詰まった空気を感じたけれど、分かったと返ってきたからいつもの気概を信じてみよう。


あの老獪をどうしてくれようかと思量しながら事務所に帰ると、散乱した書類を片付けている困り顔の所員と含み笑いのインテリメガネが其処許にいた。

斯様にざんないな状況はともあれ、喫緊の事案についてもう一度お時間をいただけませんか。お互いの為になる話が出来ると思いますよ。

ドアクローザはカウントダウンし、インテリメガネはカウントアップする。
寝首を掻かれる前に腹を括ることは、是非に及ばず然もありなん。


それから数日経ったある日、頂きものをお裾分けに警察を訪ねてみたら、私が来たことに友達は驚いている。
近くに来た時に寄ることは何度もあるのにと不思議に思いながら頂きものを広げていると、一人の優男が友達を訪ね・・・もとい、意気揚々と闊歩しながら乗り込んできた。
用件を拝察するに、友達が追っていて先般解決した事件のことみたいだけれど、何だかフラタニティよろしく勝ち誇ったような雰囲気。
友達と同じ警察官なのに気っ風などまるで無くて、不義理を働きそうな嫌な感じしかしない。

と、二人の会話を聞きながら思ったところに、捜査一課の刑事が現れ優男を逮捕すると言った。
容疑は殺人教唆で、さっき友達と優男が話していた事件の犯人を唆したのが優男だという。
一課お揃いの意気で申し訳ないんですけどね、証拠はあるんですか?とシニカルな笑みを浮かべたままの優男の問いかけに、共同謀議である実行犯が自供した。と毅然な態度で刑事は答える。

なまじ自供だけで犯人扱いされた挙げ句、そちらの頓馬な推測で不面目を被るのは堪りませんねぇ。
憶測の仮説を越えて独善的な妄想とは・・・。
一体全体、どういう了見ですか?
ずる賢いというなら俺ではなくて自白した奴でしょう。
俺に責任を押し付けて罪を軽くさせようとするウルトラシー極まりないですよ。
そ、れ、に。
俺が主犯だという物的証拠はあるんですか?
そもそも、その犯人を逮捕出来たのはそのお嬢さんのおかげなんじゃないですか?お嬢さんの大切な事務所を犠牲にして、片手落ちした己の歪んだ正義を押し通したって専らの噂ですよ。

私と私の後ろにいる友達に目を向けながら、毀誉褒貶に口さがなくピリつく空気を嘲笑う・・・のを嘲笑ってみることにした。

なるほど。
殺人事件の捜査を妨害したかった誰かさんが圧力をかける為に、インテリメガネさんが寸暇を惜しむかように私のところにいらっしゃった。
でも捜査が止まる事は無く、有ろう事かめでたく解決してしまったものだから、私は事務所を手放さざるを得なくなった。
というわけですか?

友達の複雑な表情を横目に見ながら、目の前の事態をバックトラッキングしてみた。
ミソジニーを醸し出す優男の笑みが濃くなるというあまりに分かりやすい反応に、私は自分の見立てが間違っていなかったと辿り着いた帰結。
鞄の中から取り出した一枚の紙を提示して、当て書きされた全ての前提を崩しましょう。

事務所の登記簿です。
登記事項に記載があるんですけど、買戻特約ってご存知ですか?
まぁ簡単に言えば、一定期間までに代金と契約の費用を返還すれば不動産を取り戻せるっていう特約のことです。
つまり厳密にいえば、事務所を手放したということにはならないんですよ。
貴方は捜査を妨害することに傾注していて、それ以外興味がなく拘泥することもなく、インテリメガネさんにまるっとお任せの没交渉だったみたいで大変助かりました。
あと、物的な証拠でしたっけ。

登記簿と一緒に取り出したボイスレコーダーは、レアリティのゴーストフレア。
再生すれば優男とよく似た男の声で、他言無用な内容がクロッキーの様に流れる。

この声を声紋鑑定すれば、名無の権兵衞さんが誰なのかハッキリ分かりますね。とニッコリ笑ってみせた。

怪訝な顔から一瞬面食らった後、私に飛びかかるように向かって来た優男から咄嗟に友達が後背に庇ってくれて、一課の刑事さん達も必死に押さえ付けようとしてくれている。

他を利用し続ける為に独善的なBPMで扇動を繰り返しながらマンデラ効果を自給自足で齎して、マトリョーシカに仕舞った不肖な奸計を、さもテーゼだと言わんばかりにオランダの涙の如くぶちまける。

及第点に満たなくてベネフィットも生み出さない。
そんなお前らの代わりにエスキースもパースも俺が描いて、ヒーローズ・ジャーニーをリペアしてやったんだ。
思し召しだよ、思し召し。
何故だか分かるか?
分からないよなぁ、不甲斐ないお前らにはさぁ。
秀逸な不世出で御大なんだよ、俺は。
尊敬を超越して崇拝されていなければならない存在なんだよ。
それを邪魔したんだよお前は。
出来損ないなんだから、せめて俺様に従えないのかよ。
それすら出来ないのか。
覚えめでたく推挙され、豪奢に歓待されるべきこの俺様を叛逆したんだよ。
殺してやる。
どんな手を使っても一族郎党、必ず俺が殺してやるよ。
殺してやるからな。

してもらう価値があるという感覚に陥って権柄を執り、してもらって当たり前だと自惚れ思い上がって勘違い。
然様な代物を重ねた結果、ケツ持ちさせて武力を行使し盗掘する。
都合良く進んでいると思い込んだものと実際にアテンドされた現実とは、大きな大きな茫漠たる隔たりがある。
それなのに自分だけの物差しで自分を全肯定し、世間の物差しでの裁きなど断固拒否。

Knight in shining armorを気取れない高尚なワードローブは屠所の坩堝。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのか。
そんな常軌を逸す正義がハレーションを起こし、チューニング不可能で一気呵成にブロックノイズする。


殺して良いですよ。

私の発した言葉でその場が静まり、友達も驚いているけれどそんなこと構いもしない。
優男に近付いて対峙、瞬ぐことなく私は反駁を続ける。

殺すなら殺して良いですよ。
例えバラバラになったとしても、友達が絶対に見付けてくれる。
貴方が私を殺せば、貴方を逮捕する証拠に私がなれる。

優男を真っ直ぐ見据える私の目に滲ませるのは、静かな怒りが逆巻く不退転の信念。


・・・さて。
この凍りついた空気を溶かしリスキルして差し上げる為に、膠着状態の責任を取ってフッと笑ってみせる。

自分勝手な思い込みは大変結構ですけど、貴方にはご自分の置かれた状況がまるで見えていないんですね。
まだお分かりになりませんか?
私がこれを持っているってことの意味を。

見せ付けるように呈するボイスレコーダー。
Admissible evidenceに成り得はしないけれど、主犯が優男だという補って余りある明確な証拠。
それが私の手元にある現実はROT13よりも簡単な問題。
丁半博打さえも怜悧にリバイスしてしまえるような、あの遠慮会釈の欠片も無い辣腕インテリメガネ。
この程度の遊興報いで済ませ、目溢しを赦すはずがない。
利用価値が失くなった優男に、推定無罪の上に疑わしきは罰せずなど叶うわけもないから。

さぁ。
抱水クロラールが充填されたアンプルをテンプルに撃ち込まれて口元が不自然に引き攣ったまま、説諭も蹂躙される危急に即している優男に、満面の笑みで賢明な判断をサジェストしましょう。

私は塀の中をオススメします、出来れば長めで。と。


リセマラ不能で孤立無援になったロンリーな蝋人、もとい事件の主犯である優男を引きずるようにして、ぶら下がり会見のように取り囲んでいた一課の人達が出て行った。

予てからの愚昧な目算は、チートにより可逆的な御破算。

四面楚歌の大ピンチを演出し損ねた上に、八面六臂の大活躍を許してしまい退路を断たれた優男は、サーマルカメラで傍目からでも真っ青に映るんだろうか。


犯人を煽るようなことは控えてください。なんて友達が諭告するもんだから、これでも抑えて手は出していないでしょ。と溜飲を下げられなかった私は不貞腐れながら答えた。

友達の先鞭な捜査を止めたければ命令すればいいだけで。
私に圧力なんて奇特で迂遠な方法をとらなくてもいいわけで。
不本意なアイロニーだったけれど、優男の登場で疑念を確信に変えることが出来た。
心配しているが故と分かっていても、優男が謗り唾棄したのは私の大切な人達。
言い過ぎたとも別の言い方があったとも思っていない。
友達みたいな頭脳もインテリメガネみたいな力も無いのだから、せめて媒鳥になりたかったなんて思ってはいないことにしよう。
複雑怪奇に仕組まれた罠は、最大の僥倖‐チャンス‐だから。


友達によるとインテリメガネはやっぱりいかにもだった。
事務所に何回も来たのは確かだけど話をするだけで帰ったし、地震で散乱してしまった書類を所員達と一緒に片付けてくれていたし、買戻特約も取られたフリをするのも提案してきてくれた上に、ボイスレコーダーなんてお土産もくれた。

それは単なる優しさではもちろんなくて、跋扈を極めるやり口が宗旨に反すると慨嘆して、青二才の塵芥な生涯を終えさせる為に過ぎない。
だからカウンターシェーディングの香盤表を付け届け込みで誂えて、ステークホルダーの私に内部者取引を仕掛けさせたってわけなんだけれども。

優男のあの様子じゃ、怒りに任せて私を殺す勇気はあっても、針の筵でインテリメガネに殺される覚悟は微塵も無かったみたいだけどね。


でも例えフリだったとしても私を巻き込んでしまったこと、インテリメガネに対して無茶をさせてしまったこと、事務所を手放さないといけなくなると承知していた上で譲れなかった自分の正義を貫いてしまったこと、豪放磊落とは無縁の友達はそんな諸々を気に病んでいる。


けれどそれは私が望んだこと。
際限なく翻意することもなく、友達の正義を貫いて欲しかったのは、他でもない私自身だから。

そもそも遺失したぐらいで傷付くようなら、警察官と友達になったりしない。
唯々諾々と身を切るようなことまでして、一緒になんかいない。
むしろ流言蜚語の汚名を雪げたのは、ゼロサムにもならずの一挙両得だし。
出会った瞬間からノットサイナス、百も承知の自明。

ブルートフォースアタックなんて出来るはずもなく、スパイダーグラフをリアルタイムアタック。
無限の不可逆的な選択肢の中からたった一つを選び、甘酸を味わいながらも繰り返し進んできた。
時には正しくないかもしれないけれど、全部間違ってもいないだろう。
正解なんか無いと分かりきっているから。
法を誰よりも遵守する正義だから。
誰かを守りたくて貫く正義だから。
善にも悪にもなるのが正義だから。
コペルニクス的転回ならば、存外高潔なのは純粋な悪の方なのかもしれない。

被害者は私で加害者も私。
所信の初心忘るべからず。
ダブルスタンダードでファジーな正義を二人で背負いましょう。


それでも私淑する知己の背は心做しか跼っているように見える。
暴き出すのは得意でも隠し通すのが下手だから。
鬱屈した心情は曇ったままなのだろう。

だから思いっきりご馳走してもらおう。
借景が美しい老舗で大好物の水菓子を。
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